後上翔太さんの学歴、出身大学・高校・中学校、芸能界に入ったキカッケ、学生時代の様子や経歴についてご紹介します。

後上翔太さんは、スーパー銭湯アイドルとして人気の男性ムード歌謡グループ「純烈」のメンバーとして活躍しているよね。
甘いマスクと優しい歌声で、主婦層を中心に大人気の彼ですが、学生時代はどんな少年だったのでしょうか?
この記事では、後上翔太さんの学歴(出身大学・高校・中学校)や、芸能界入りのきっかけ、そしてこれまでの経歴まで、徹底的に掘り下げてご紹介します。
ぜひ最後までチェックしてみてください。
後上翔太のプロフィール
名 前: 後上翔太(ごがみ しょうた)
生年月日: 1986年10月23日
出身地: 東京都
血液型: O型
身 長: 179cm
職 業: 歌手(純烈メンバー)
活動期間: 2010年~
所属芸能事務所: ジースター・プロ
特 技: 情報収集、クイズ、MC、バレーボール、理系分野の知識
趣 味: 野球観戦(特に巨人ファン)、クイズ番組鑑賞、アニメ・漫画鑑賞、読書、インターネット、料理
後上翔太の学歴 出身大学はどこ?


後上翔太さん出身大学は、「東京理科大学」 工学部 経営工学科です。
1986年10月23日生まれの後上翔太さんは、一般的な学年進行に従うと、2005年4月に入学されたと推定されます。
後上翔太 さんは、 大学3~4年生の頃(2009年〜2010年)、芸能界に入るために大学を中退されています。
後上翔太さんの 実家は教育熱心で、父親はメガバンク勤務、兄弟全員が慶應義塾大学出身で、母方の祖父は医師という家庭で育っています。
周囲からは医師の道を勧められたこともあったそうですが、ご本人はあえて経営工学を選ばれています。
所在地 | 〒162-8601 東京都新宿区神楽坂1-3(神楽坂キャンパス) |
最寄駅 | JR総武線「飯田橋駅」東口より徒歩約5分 東京メトロ東西線・有楽町線・南北線「飯田橋駅」B3出口より徒歩約3分 |
「東京理科大学」は、日本でも有数の理系大学で、経営工学科では理論だけでなく、企業経営や効率化の手法など実務にも直結する学びが展開されています。
特に「システム思考」や「統計解析」に強く、卒業生の多くが大手企業や技術職へと進む、就職に強い学科としても知られています。
後上翔太の大学時代
後上翔太さんは、初め理数系に強く、大学では経営や情報処理、統計などを学び、将来的には企業のシステムエンジニアやコンサルタントになることも考えていたようです。
大学では勉学に励む一方、後上翔太さんは、 ギャル男風ファッションに身を包み、日焼けサロンにも通っていたという一面もあったそう。
大学在学中、就職活動をしていた後上翔太さんに、純烈のリーダー・酒井一圭さんの友人である大学の先輩から、純烈加入の誘いがありました。
酒井一圭さんとの面談を経て、後上翔太 さんは「この道にかけてみたい」と決断し、芸能界入りを決意。2010年、自分の可能性にかけて「東京理科大学」 工学部 経営工学科を中退。
その後、純烈のメンバーとして活動を開始しました。
声をかけられた当初は、レッスンも未経験で、芸能経験もなく、 戸惑いもあったそうですが、それでも後上翔太さんは、「やらずに後悔するよりも、やってみて後悔した方がいい」と、芸能の道へ進む決意をしました。
この決断には、さすがにご両親の猛反対があり、実家に1年間帰れなかったほどだったそうです。
後上翔太さんは、2010年に舞台『歌謡コーラス★愛と青春のヒットステージ』で俳優デビュー。
芸能レッスンの経験もないままいきなり演技や歌に挑むことになり、必死に稽古を重ねてデビューに臨んだそうです。
2010年 6月には、純烈として『涙の銀座線』でCDデビューも果たし、華やかながらも泥くさいスタートを切り、ゼロからのスタートを必死に積み上げていきました。
また、理系出身の知識と冷静な判断力を武器に、2021年にはクイズ番組『アタック25 45周年記念SP』でクイズ番組にもデビューしています。
その後も『東大王』などに出演し、“知性派ムード歌謡グループメンバー” として新たな魅力を発揮しています。
ちなみに、後上翔太 さんは「純烈」の中でMCを担当することが多く、その明晰な頭脳と的確な言葉選びで、イベントやテレビ番組では“頼れる進行役”としても定評があります。
ご両親も最初は反対されたそうですが、後上翔太さんの熱意と誠実さが伝わり、次第に応援してくれるようになったそうです。
後上翔太の学歴 出身高校はどこ?


後上翔太さんの出身高校は、東京都国立市にある私立の男子校 「桐朋高等学校(とうほうこうとうがっこう)」です。
後上翔太さんは、桐朋中学校から内部進学で桐朋高等学校へと進まれました。
1986年10月23日生まれの後上翔太 さんは、一般的な学年進行に従うと、2002年4月に入学し、2005年3月に卒業されたと推定されます。
所在地 | 〒186-0004 東京都国立市中3丁目1-10 |
最寄駅 | JR中央線「国立駅」南口より徒歩約10分 |
「桐朋高等学校 」は、全国でもトップクラスの学力を誇る進学校のひとつで、自由な校風と個性を重んじる教育で知られています。男子校としての伝統も深いことで知られています。
特に音楽教育に強みがあり、クラシック音楽の世界で著名な卒業生も多く輩出しています。
また、自由な校風と個性を尊重する教育方針で知られ、生徒たちは学業だけでなく、芸術やスポーツなど多方面で活躍しています。
後上翔太の高校時代
後上翔太さんは、高校時代、「バスケットボール部 」に所属し、仲間とのチームプレーに励む日々を過ごしていました。
運動神経も良く、学校行事にも積極的に参加するなど、文武両道タイプだったようです。
また、「桐朋高校」のバスケ部には俳優の西島秀俊さんも在籍していたことから、憧れの先輩として意識されていたようです。
後上翔太さんは、高校時代は、勉強だけでなく部活動や友人関係も大切にする“真面目だけどおもしろい”生徒だったそう。
後上翔太さんは、 特に昭和の歌謡曲が好きで、 ムード歌謡や演歌も自然と口ずさんだり、 友人とカラオケに行っては歌を楽しんでいたそうです。
クイズや野球観戦、アニメなども好きで、特にプロ野球の巨人ファンとして、友達と試合の話で盛り上がったそうです。
また、この頃からテレビのクイズ番組を見ながら「自分なら答えられるのに」とつぶやくような場面もあったそうで、今の“クイズが得意な理系アイドル”という一面にもつながっていますね。
家庭では、父親がメガバンク勤務、母方の祖父が医師というエリート一家に育ち、後上翔太さんは、 一人っ子だったこともあり、「将来は医師に」と期待されていたようです。
しかし、後上翔太さんは、 医師の道を選ばず、自分の得意分野である理系を活かすため、「東京理科大学 」経営工学科への進学を目指して、着実に努力を重ねていたそうです。
理系に進んだのも、「ものごとを論理的に考えるのが好きだったから」という理由だったそうで、その姿勢は今の落ち着いた話しぶりにもつながっていますよね。
後上翔太の学歴 出身中学校はどこ?


後上翔太さんの出身中学校は、東京都国立市にある私立の男子校「桐朋中学校」です。
1986年10月23日生まれの後上翔太 さんは、通常の学年進行に従えば、1999年4月に桐朋中学校に入学し、2002年3月に卒業されたと推定されます。
所在地 | 〒186-0004 東京都国立市中3丁目1-10 |
最寄駅 | JR中央線「国立駅」南口より徒歩約10分 |
「桐朋中学校 」は、桐朋学園が運営する私立男子中学校で、高い学力水準と自由な校風で知られています。
生徒一人ひとりの自主性を大切にしながら、学問だけでなく芸術や人間性も伸ばす教育を行っているのが特徴です。
後上翔太の中学校時代
後上翔太さんは、中学校時代、「バスケットボール部 」に所属し、毎日の練習に一生懸命打ち込んでいたそうです。
一方で、意外にも読書好きな一面もあり、図書室に足を運んでは小説や歴史書をはじめろいろなジャンルの本を読み漁り読書を楽しんでいました。
また、テレビっ子だった一面もあり、当時からクイズ番組やバラエティ番組なども好んで観ていました。
音楽についてもこの頃から興味を持ち始めたそうで、ムード歌謡や昭和歌謡といったジャンルを好んでいました。
まさに、今の「純烈」の原点がこの中学時代にあったと言えるかもしれません。
後上翔太さんは、 理系に強い関心を持っていた一方で、人と関わることも大好きで、クラスのムードメーカー的な存在だったそうです。
家庭では、一人っ子として両親や祖父母から愛情いっぱいに育てられました。
それと同時に父親は大手銀行勤務、母方の祖父は医師という厳しくも誇らしい家庭環境の中で、「勉強しなさい」「いい大学に行きなさい」といった期待も自然と感じていたことでしょう。
ただ、後上翔太さん 自身は“おとなしく従う”というより、自分の感性で物事を見つめる芯の強さを持っていたようで、 中学時代から「周りに流されず、自分の好奇心を大切にする子だった」と、周囲の人は語っています。
後上翔太の学歴 出身小学校はどこ?


後上翔太さんの出身小学校は、東京都小金井市にある 「東京学芸大学附属小金井小学校」です。
後上翔太さんは、小学校受験を経て、「東京学芸大学附属小金井小学校」 に入学しています。
1986年10月23日生まれの後上翔太さんは、一般的な進学スケジュールに従うと、1993年4月に入学し、1999年3月に卒業されたと推定されます。
所在地 | 〒184-8501 東京都小金井市貫井北町4丁目1-1 |
最寄駅 | JR中央線「武蔵小金井駅」北口から徒歩約10分 |
「東京学芸大学附属小金井小学校 」は、東京学芸大学が運営する国立の附属小学校で、教育実習生の受け入れや、先進的な教育カリキュラムが特徴です。
学習内容はかなり高度で、自主性を育てる教育方針のもと、子どもたちの考える力を大切にしています。
また、実験的な授業やプレゼンテーション活動も盛んで、将来リーダーシップを発揮する子どもが育ちやすい環境として、非常に人気のある小学校です。
後上翔太の小学校時代
小学校時代の後上翔太さんは、勉強熱心で落ち着いた性格の一方、どこかおっとりした温かさを持つ少年だったそうです。
観察力が高く、物事をよく覚えている「記憶力の良い子」として 、さらに自由研究で自分の意見を発表する際も、自分の言葉で話すことを恥ずかしがらず、丁寧に説明するその姿勢に、先生たちに一目置いていたそうです。
家庭では、銀行員の父と、教育に熱心な母のもとで育ち、毎朝きちんと制服を着て登校するような、規律を大切にする日常を送っていました。
母方の祖父が医師という影響もあり、家庭内には自然と「勉強するのは当たり前」という空気があったとか。
そんな環境の中でも、後上さん自身が好きだったのは、図鑑や地図帳を眺めること。
特に地理の本を読むのが好きで、電車の路線図にも詳しく、「○○駅で乗り換えて行ける」とスラスラ言えるほどだったそうです。
実験キットで遊んだりするのが好きで、将来は「博士になる!」と言っていたこともあるそうです。
また、テレビで放送されていたクイズ番組にも夢中になっていて、「問題の答えをノートにメモして、後で調べる」という独自の楽しみ方をしていたとのこと。
小学生ながらにして“知識を蓄える楽しさ”を知っていたのですね。
後上翔太さんは、学校の合唱祭などでは、声の美しさが褒められることも多かったそうです。
林間学校で長野県を訪れた際には、周囲の生徒達が、お土産にキーホルダーやお菓子を選ぶ中、 後上翔太さんは、お土産に駅弁の「峠の釜めし」を購入し、周りから不思議がられたということもありました。
家庭では一人っ子として、父母や祖父母からたっぷりの愛情を注がれて育ちました。 特に母方の祖父が医師だったことから、「翔太には将来、人の役に立つ仕事に就いてほしい」との期待も強かったようです。
その期待を無意識に感じ取りながらも、自分の“好き”を大切にしていた小学生時代だったのかもしれません。
後上翔太の芸能界に入ったキッカケは?
後上翔太さんが芸能界に入ったきっかけは、まさに“偶然の出会い”から始まったものでした。
後上翔太さんは、大学時代、就職活動をしていた時に、サークルの先輩から「芸能の仕事に興味はないか?」と声をかけられたのです。
この先輩は、なんと純烈のリーダー・酒井一圭さんと知り合いで、「誠実でまじめな後輩がいる」と後上さんを推薦。
紹介を受けた後、酒井一圭さんと直接会い、面談を経て、純烈のメンバーとしての加入を打診されたのです。
それまで芸能界にはまったく縁がなく、自分が芸能人になるなんて思ってもみなかったそうです。
でも、募集の趣旨に「ムード歌謡を通じて多くの人を癒したい」「母親世代を笑顔にしたい」と書かれていたことに心を動かされ、「自分も誰かを喜ばせる仕事をしてみたい」と思いました。
ちょうど、就活の中で「このまま企業に入って、スーツを着て毎日過ごして本当にいいのか?」と悩んでいた時期でもあり、そのタイミングでの声がけはまさに“運命のタイミング”でした。
当時の後上翔太さんは、芸能界未経験で演技や歌のレッスンを受けたこともなく、華やかな世界とは無縁の“理系男子”でした。
そのうえ、東京理科大という難関大学に在籍し、周囲や家族は当然、安定した企業への就職を期待していた時期。
当然ながら、ご両親は猛反対。特に父親からは「せっかく進学校に入ったのに、なぜそんな道に」と強く言われ、大学を中退した後は1年間実家に帰れなかったほどだったそうです。
それでも後上さんは、「一度きりの人生、自分の可能性に賭けてみたい」と決意。
2010年、新宿の劇場で上演された舞台『歌謡コーラス★愛と青春のヒットステージ』でデビューし、同年6月には『涙の銀座線』でCDデビュー。
未経験ながらも、歌や演技のレッスンに必死に食らいつき、芸能界での一歩を踏み出しました。
「純烈」として本格デビューしてからは、歌やトーク、舞台挨拶などを通じて“癒し”を届ける活動を続け、今や“スーパー銭湯の王子様”とも称される人気者に。
最初はご両親もかなり驚かれたそうですが、後上さんの真剣な気持ちを受け止めて、次第に応援してくれるようになったそうです。
偶然の出会い、覚悟の決断、そして努力。 このすべてが重なって、今の後上翔太さんがいるのですね。
後上翔太の経歴 代表作と出演作品
2025年6月11日 シングル『二人だけの秘密』リリース(純烈)
2024年 シングル『愛をありがとう』リリース(純烈)
2023年6月7日 スペシャル配信パッケージ『だってめぐり逢えたんだ』後上翔太バージョンリリース(純烈)
2023年 シングル『君を奪い去りたい』リリース(純烈)
2022年 シングル『愛をください〜Don’t you cry〜』リリース(純烈)
2021年 シングル『君がそばにいるから』リリース(純烈)
2021年 映画『スーパー戦闘 純烈ジャー』出演(純烈)
2020年 クイズ番組『Qさま!!』初出演
2020年 書籍『純烈LIP UBU LOVE 後上翔太 with セレモニーローズ』発売
2018年 NHK紅白歌合戦 初出場(純烈)
2017年 シングル『愛でしばりたい』リリース(純烈)
2016年 シングル『幸せのルールはどこにある』リリース(純烈)
2015年 シングル『星降る街角』リリース(純烈)
2014年 シングル『プロポーズ』リリース(純烈)
2013年 シングル『涙の銀座線』リリース(純烈)
2012年 シングル『キサス・キサス東京』リリース(純烈)
2011年 シングル『ひとりじゃないから』リリース(純烈)
2010年 シングル『涙の銀座線』でCDデビュー(純烈)
2010年 舞台『歌謡コーラス★愛と青春のヒットステージ』で俳優デビュー
2009年 大学在学中に芸能活動を開始
後上翔太の学歴・出身大学高校中学は?経歴は?まとめ
後上翔太さんの学歴、出身大学・高校・中学校、経歴、芸能界に入ったキッカケについてご紹介しました。
【学歴まとめ】
・小学校:東京学芸大学附属小金井小学校
・中学校:桐朋中学校(東京都)
・高校:桐朋高等学校(東京都国立市)
・大学:東京理科大学 工学部 経営工学科(中退)
後上翔太さんは、大学時代に出会った先輩の紹介で「純烈」リーダー・酒井一圭さんと出会ったご縁で、親に猛反対されながらも、大学を中退して、まったくの未経験ながら芸能界入りしていたんですね。
2010年に舞台・CDでデビューしてからは、地道なライブ活動を続けながら、紅白出場やクイズ番組での活躍など、少しずつ信頼と実力を積み上げてきた後上翔太さん。
初めは反対していたご両親も、今では、後上翔太さんを応援しているそうです。
まっすぐで控えめ、それでいて芯がある――後上翔太さんのそんなところが魅力的ですね。
これからの後上翔太さんの活躍が、ますます楽しみですね。