秋篠宮文仁親王の学歴、出身大学、高校中学校、生立ちや経歴についご紹介します。
父である第125代天皇明仁の退位なさったことで、2019年5月1日に皇位継承順位1位である兄・
皇太子徳仁親王殿下が皇位を継承し天皇となったため、秋篠宮文仁親王殿下は、皇嗣(こうし)となり、皇位継承順位1位となりました。
秋篠宮文仁親王殿下は、眞子さま(現在小室眞子)、佳子さま、悠仁さまと、3人のお子様のお父様でもありますね。
秋篠宮文仁親王殿下の出身大学はどこ?
秋篠宮文仁親王の出身大学は、『学習院大学』法学部政治学科です。
秋篠宮文仁親王は、1984年4月に入学し、1988年3月に卒業しています。
大学進学時には、秋篠宮文仁親王殿下はご自身の興味のある分野を学ぶため、学習院とは別の大学を希望されたのですが、ご両親に反対されたため、そのまま学習院に進学されました。
所在地 | 東京都豊島区目白1-5-1 |
最寄駅 | JR山手線『目白駅』下車徒歩30秒(西門まで) 東京メトロ副都心線『雑司が谷駅』2番出口から徒歩10分(正門まで) 都電荒川線『学習院下』停留場より徒歩5分(南門まで) |
1988年より2年間、秋篠宮文仁親王殿下は、『オックスフォード大学』『セント・ジョンズ・カレッジ大学院』動物学科に留学し、魚類に関する分類学を学びました。
机に向かっての勉強が好きではない秋篠宮文仁親王殿下ですが、『オックスフォード大学』留学中は、動物学にのめり込み、朝から晩まで机に向かわれたそうです。
1989年から1年間、『オックスフォード大学大学博物館』及び『ロンドン自然史博物館』にも在籍しています。
秋篠宮文仁親王殿下の大学時代
1985年に、秋篠宮文仁親王殿下は、『自然文化研究会』を結成し、積極的にサークル活動を行うとともに、東京農業大学育種学研究所を前身とする財団法人『進化生物学研究所』で家禽類研究に従事しました。
1985年、秋篠宮文仁親王殿下は、大学構内の書店で一学年下の紀子さまと出会い、おふたりは、秋篠宮さまが主宰する自然文化研究会の活動を通じて親交を深めました。
1986年6月26日に、秋篠宮文仁親王殿下が、紀子さま(当時 川嶋紀子)にプロポーズしました。
1986年から財団法人『山階鳥類研究所』総裁を、1988年より社団法人『日本動物園水族館協会』総裁を務めています。
1989年1月7日、祖父・昭和天皇が崩御し、父が第125代天皇に即位したことに伴い、兄・皇太子徳仁親王に次いで、皇位継承順位第2位となりました。
1989年9月12日秋篠宮文仁親王殿下(当時 文仁親王)と紀子さま(当時 川嶋紀子)の婚姻が、皇室会議で、全員一致で可決され、婚約が内定し、その日の午後に午後から記者会見が行われました。
秋篠宮文仁親王殿下は、幼少時からナマズへの興味関心は深く、“ナマズの殿下”と呼ばれるほどのナマズの研究者だったこともあり、紀子さまは、婚約指輪として“ナマズの指輪”を秋篠宮文仁親王殿下に贈りました。
1990年1月12日、昭和天皇の喪が明けた後、『納采の儀』が執り行われ、お2人は正式に婚約されました。
1990年6月29日 『結婚の儀』が行われ、秋篠宮家が創設されました。
秋篠宮文仁親王殿下は、学生時代から「口髭」を伸ばしはじめ、それが今でもトレードマークになっていますが、伸ばし始めた当初は、宮内庁から顰蹙を買っていたことが侍従の日記に残されているそうです。
秋篠宮文仁親王殿下は、大学時代、友人とよく飲み歩き、SPをまいて一般客に気づかれず飲むことも多く、カラオケでものまねを披露されていたそうです。
秋篠宮文仁親王殿下は、両親と同じく、テニスを趣味の一つとしていて、テニスの腕前は、学生時代に関東でダブルストップ10に入る程だったそうで、東宮御所でテニスをする際も、スピンをかけるなど、さまざまなテクニックを駆使して楽しんでいたそうです。
1992年から2015年まで日本テニス協会の名誉総裁を務めています。
全日本テニス選手権において表彰式や試合観戦、テニス国別対抗戦のデビスカップ・フェドカップの組み合わせ抽選会において名誉総裁として参加する他、ジャパン・オープン・テニス選手権、東レ パン・パシフィック・オープン・テニストーナメント等の日本で開かれる国際テニス大会へは、ほぼ毎年観戦に訪れています。
秋篠宮文仁親王殿下の出身高校はどこ?
秋篠宮文仁親王殿下の出身高校は、東京にある私立の男子校『学習院高等科』です。
秋篠宮文仁親王殿下は、1981年4月に入学し、1984年3月に卒業しています。
所在地 | 〒171-0031 東京都豊島区目白一丁目5番1号 |
最寄駅 | JR『目白駅』から徒歩3分 東京メトロ副都心線『雑司が谷駅』から徒歩7分 |
秋篠宮文仁親王殿下の高校時代
秋篠宮文仁親王殿下(当時礼宮さま)は、学習院高等科時代、『写真部』に所属されていました。
秋篠宮文仁親王殿下、上から押しつけられて勉強することがあまりお好きではなく、試験の前だけ頑張って結果を出す“要領のいいタイプ”だったそうです。
元宮内庁職員は、「ご兄弟は、いろいろな面で対照的でした」と語っています。
秋篠宮文仁親王殿下の出身中学はどこ?
秋篠宮文仁親王殿下の出身中学は、東京にある私立の男子校『学習院中等科』です。
秋篠宮文仁親王殿下は、1987年4月に入学し、1981年3月に卒業しています。
所在地 | 〒171-0031 東京都豊島区目白一丁目5番1号 |
最寄駅 | JR『目白駅』から徒歩3分 東京メトロ副都心線『雑司が谷駅』から徒歩7分 |
秋篠宮文仁親王殿下の中学時代
秋篠宮文仁親王殿下は、『学習院中等科』時代、『剣道部』に所属していたようです。
剣道に真剣に取り組んでいる様子が伺えますね。
秋篠宮文仁親王殿下の出身小学校はどこ?
秋篠宮文仁親王殿下の出身小学校は、東京にある私立の『学習院初等科』です。
秋篠宮文仁親王殿下は、1972年4月に入学し、1987年3月に卒業しています。
所在地 | 〒160-0011 東京都新宿区若葉一丁目23番地1 |
最寄駅 | JR東日本と東京メトロ『四ツ谷駅』から徒歩7分 |
迎賓館および赤坂御所に隣接する現在の本館は、明仁親王が入学する際に建設され、戦争から身を守るために、地下室もあります。
また、学習院初等科は、日本で初めてランドセルを使用した小学校でもあります。
秋篠宮文仁親王殿下の小学校時代
秋篠宮文仁親王殿下(当時 礼宮さま)は、『学習院初等科』時代に、授業で剣道を習っています。
トラウマになってしまったという噂にあるほど、その時の指導は厳しかったようです。
9歳の秋篠宮文仁親王殿下(礼宮さま)と卓球を楽しまれる父である明仁上皇陛下(当時 昭仁皇太子)と卓球を楽しまれる9歳の秋篠宮文仁親王殿下(礼宮さま)の様子です。
1972年、『学習院初等科』1年生の夏休みに、家族で軽井沢過ごしている際に、秋篠宮文仁親王殿下(当時 礼宮さま)は、「ボク、学校行くのイヤだ」「もう、学校やめる!」などと言い、美智子さまを困らせたようです。
その時、美智子さまが、「義務教育の中学校を卒業するまでは勉強を続けなければならない。」と説明すると、
秋篠宮さまは、「じゃ、ギムキョーイク、おわったら、あとは学校いかないよッ」「ボク、大きくなったら探検家になるんだ。ウン、アフリカに行くんだよ。あのね、おたたちゃまも、つれていってあげるねッ」と主張されたそうです。
テーブルの下に潜ろうとしている秋篠宮文仁親王殿下(礼宮さま)
ちょっと、お茶目すぎる秋篠宮文仁親王殿下(礼宮さま)ですが、皇族といえど、子供時代はあるものですよね。
秋篠宮文仁親王殿下の出身幼稚園はどこ?
秋篠宮文仁親王殿下の出身幼稚園は、『学習院幼稚園』です。
所在地 | 〒171-8588 東京都豊島区目白1-5-1 |
最寄駅 | JR山手線 「目白駅」から徒歩5分 東京メトロ副都心線 「雑司が谷駅」から徒歩7分 |
秋篠宮文仁親王殿下の幼稚園時代
秋篠宮文仁親王殿下が、『学習院幼稚園』に通っていた当時は、“タイガーマスクごっこ”が流行っていました。
秋篠宮文仁親王殿下も“タイガーマスクごっこ”が、大のお気に入りだったそうです。
しかし、わんぱく過ぎて、お友達を泣かせた際には、美智子さまが、直々に相手の母親に何度も謝罪の電話をかけられたそうです。
秋篠宮文仁親王の生い立ち
1965年(昭和40年)11月30日午前0時22分、皇太子明仁親王と同妃美智子(当時)さまの
第二子で次男として、宮内庁病院で誕生しました。
身長52センチ、3214グラムでした。
名前は礼宮(あやのみや)文仁親王と決まりました。
幼少時の御称号である礼宮(あやのみや)は、「論語」の「博く文を学び、これを約するに礼をもってすれば、またもって畔(そむ)かざるべし」に由来しています。
礼宮(あやのみや)文仁親王 2歳の誕生日の様子
https://www2.nhk.or.jp/archives/tv60bin/detail/index.cgi?das_id=D0009170054_00000
幼い頃の礼宮さま(現秋篠宮文仁親王殿下)と妹・紀宮様(現黒田清子様)
動物と触れ合うことを好み、東宮御所や御用邸の庭で蛇を捕まえて近臣に見せたことがあるなど、幼少時はやんちゃな男のだったようです。
幼いころの現秋篠宮文仁親王殿下は、茶目っ気たっぷりで、職員が池をさらっていると長靴姿でじゃぶじゃぶと入ってきて、一緒に作業をしたそうです。
また、現秋篠宮文仁親王殿下のあまりの“暴れん坊”ぶりに手を焼いた美智子さまが、元五輪選手をコーチに招いて、マット運動の指導をしてもらったこともあったそうです。
おじいちゃまにあたる昭和天皇陛下にも可愛がられていた様子が伝わってきますね。
秋篠宮文仁親王の経歴
2022年4月21日 秋篠宮夫妻は立皇嗣の関連行事を締めくくる伊勢神宮参拝
2020年11月8日 「立皇嗣の礼」(皇位継承順位1位の皇嗣となったことを天皇が内外に宣明する儀式)
2020年5月 新型コロナウイルス感染症が蔓延する中、自身が総裁を務める済生会病院に対して秋篠宮一家と皇嗣職職員が作ったガウン500着を寄付
2019年10月22日 『即位礼正殿の儀』皇太子と同等の装束(黄丹袍)で参列
2019年5月1日 兄の徳仁が第126代天皇に即位したことに伴い、皇嗣となる
2009年8月 ベアトリックス女王及びオランダ政府の招待によりオランダを公式訪問
日蘭通商400周年記念式典へ出席の他、バルケネンデ首相表敬、地方訪問、日蘭協会の名誉総裁である秋篠宮がオランダを訪問し、ハーグで開催された記念式典に出席
2008年~2010年3月まで
紀子さまの弟が講師を務める『東京農業大学農学部バイオセラピー学科』客員教授を務める
2007年から 東京大学総合研究博物館特招研究員を務める
2006年から 東京農業大学で非常勤講師を務める
(2006年9月6日 第3子で長男の悠仁親王が誕生)
皇室において文仁親王自身の誕生以来、41年ぶりの男系男子誕生となった。
2005年 『サイアム・ソサエティー』名誉副総裁に就任
2004年 特定非営利活動法人『全日本愛瓢会』名誉総裁に就任
2001年から 東京農業大学で学生指導を開始
2000年 『日蘭協会』名誉総裁に就任
1997年 財団法人『世界自然保護基金』ジャパン総裁就任
1996年9月30日
総合研究大学院大学生命科学研究科遺伝学専攻を構成する国立遺伝学研究所・五條堀孝教授の指導の下、“家禽のニワトリの起源を遺伝子に基づき解析した研究”により、総合研究大学院大学から論文博士(理学)の学位を授与される。
(1994年(平成6年)12月29日 第2子で次女の佳子内親王が誕生)
1992年(平成4年) 財団法人日本テニス協会名誉総裁に就任
(1991年(平成3年)10月23日 第1子で長女の眞子内親王が誕生)
(1990年6月29日 『結婚の儀』紀子さまと御結婚)
1989年 『オックスフォード大学大学博物館』及び『ロンドン自然史博物館』に1年間在籍
(1988年より2年間『オックスフォード大学』『セント・ジョンズ・カレッジ大学院』動物学科に留学し、魚類に関する分類学を学ぶ)
(1988年 『学習院大学』法学部政治学科を卒業)
秋篠宮文仁親王殿下の学歴 大学高校中学?生立ち経歴は?まとめ
秋篠宮文仁親王殿下の学歴、出身大学、高校中学校、生立ちや経歴についご紹介しました。
秋篠宮文仁親王殿下は、幼稚園から、大学まで、『学習院』で学ばれています。
紀子さまが、父親の転勤の都合で、幼いころから幾つもの学校を転々としていたのとは対照的ですね。
秋篠宮文仁親王殿下は、大学進学に際して、学習院ではなく、別の大学で自分の興味のある分野を学びたかったのですが、その希望がかなわず、そのまま学習院に進学されていたのですね。
秋篠宮文仁親王殿下はの3人のお子様たちは、学習院でなく、他の学校や大学で学んだりしていますが、かつての自分の経験から、本人の学びたいところで、本人が学びたいことを学んでほしいと思われているのかもしれませんね。
秋篠宮文仁親王殿下のプロフィール
宮号: 秋篠宮(あきしののみや)
全名: 文仁(ふみひと)
称号: 礼宮(あやのみや)
出生: 1965年11月30日 東京都千代田区千代田 皇居・宮内庁病院
配偶者: 文仁親王妃紀子(川嶋紀子)
子女: 小室眞子(眞子内親王)、佳子内親王、悠仁親王
父親: 明仁(上皇) 母親: 美智子(上皇后)