皇后雅子様

2019年5月1日、天皇徳仁様が即位し、元号が平成から令和にと改まり、雅子様も皇太子妃から、皇后になられました。


令和に改元されてから初めての国賓としてアメリカのトランプ大統領夫妻を迎え、雅子様が皇室外交デビューしましたが、“通訳なし”と天皇と雅子皇后の英語力と外交力が話題になっています。



https://twitter.com/kanon83939/status/1133597659367788544


今回は、そんな皇后となられた雅子様の通われた小学校や中学、高校、大学はどこなのか?皇室にに嫁ぐ以前はどんな仕事をされていたのかなど、雅子様の生い立ちをはじめ、若い頃の様子や雅子様の学歴や職歴についてまとめてみました。


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皇后雅子様の若い頃、生い立ちは?

皇后となられた雅子さまは、1963年(昭和38年)12月9日、小和田恆(ひさし)・優美子夫妻の第1子(長女)として東京都港区虎ノ門にある国家公務員共済組合連合会『虎の門病院』にて誕生しました。


体重3870グラム、身長51センチのとっても元気な赤ちゃんでだったそうです。


皇后雅子さまの父・小和田恆氏が、在ソ連日本大使館一等書記官に就任したため、雅子さまは1歳数か月からソビエト連邦・モスクワ市で過ごすこととなり、2歳の終わりごろから、ソビエト連邦・モスクワ市立保育園に通園しました。


当初は慣れない言語や集団生活で泣きだすこともあったようですが、ロシア語もすぐに上達し、妹たちにロシア語で話し掛けたり、寝言もロシア語で言うほどだったそうです。


ロシアの保育園を経験している日本人は、なかなかいないのではないでしょうか?


1968年5月 4歳半から、父・小和田恆氏が、国際連合日本政府代表部一等書記官に就任したため、アメリカ合衆国のニューヨーク州ニューヨーク市に一家で渡り、ブロンクス区のヘンリーハドソン・パークウェイという郊外に住むこととなります。


1968年9月から1年間、雅子様は、ニューヨーク市立の幼稚園(キンダガーデン)に通園しました。


雅子様は、最初は、英語がさっぱりわからず、しゃべらない日々が続いきましたが、4ヶ月ほど経過した頃から、うそのように英語を話しだしたそうです。

雅子様の学歴 小学校はどこ?

皇后雅子様 超学生の頃アメリカで

1969年9月(5歳半) ニューヨーク市立の小学校に入学
雅子様は、この頃からピアノを習い始め、またこのニューヨーク滞在期間中、日本語補習授業校にも通いました。



(父・小和田恆氏が、外務大臣秘書官事務取扱に就任したため、小和田家は日本に帰国)
1971年3月(7歳) 目黒区立原町小学校第1学年に編入
1971年5月     新宿区立富久小学校第2学年に編入


1972年(昭和47年)4月 『田園調布雙葉学園・田園調布雙葉小学校』の3年生に編入学


雅子様の祖母の江頭寿々子さんも『旧制雙葉高等女学校』を卒業し、母・小和田優美子も『田園調布雙葉学園』を卒業しています。その為、母・小和田優美子は、娘たちも『田園調布雙葉学園』に通わせたかったのでしょう。


雅子様は、帰国してすぐに『田園調布雙葉学園小学校』の編入試験を受けたのですが、その時は、日本語がネックになっていたんでしょうか、問題が分からなかったそうです。雅子様が、日本式のお受験に慣れていなかったことも考えられますね。


雅子様は、『田園調布雙葉学園・田園調布雙葉小学校』に編入するために、上皇后美智子が雙葉小学校附属幼稚園に通園していた当時の担任教師が開いた塾に1年通い、編入試験のための勉強をしています。


また、雅子様の長女・愛子様の養育係の一人である福迫美樹子さんは、田園調布雙葉小学校附属幼稚園の元教諭でした。


小学校時代の雅子さまは、本と動物が大好きな女の子で、自宅でも、犬、猫、ハムスター、ひよこ、50匹に増えたハツカネズミ、体長20センチのカメレオン、十姉妹、金魚など、たくさんの種類の動物を飼われていました。


雅子様は、6年生の生物部では学校の窓ガラスにぶつかって死んだコジュケイのはくせいを作る体験をされ、卒業文集には獣医さんになりたいと書かれていたそうです

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雅子様の学歴 中学校・高校は?

雅子様は、『田園調布雙葉学園小学校』を卒業すると、そのまま『田園調布雙葉学園』の中学校と高校に進学しています。



1976年4月 『田園調布雙葉中学校』に進学
ソフトボール部を結成し活動しました。

1979年4月 『田園調布雙葉高校』に進学


雅子様は、中学の時は、朝早く学校に行き、みんなが嫌がるウサギやにわとりの糞掃除などし、ヘビを1匹ずつ手に持って、週に一度は校庭の草むらで日光浴をさせたりしたそうです。


雅子さまは、


「子供の頃に親しんだ昆虫に触れることにより、小さな命ひとつひとつがたいへんいとおしく思えてくるものでございまして、そのようなことから、現代の子どもたちにもそういう体験をするというのは、とても大切なことなのではないかしらという風に感じております。」


と、おっしゃっています。


中学時代の雅子さまは、すべての生き物に対してわけ隔てなく愛情を注がれる心優しい面と、活発で運動好きという両面を持った少女だったようですね。


雅子さまは、ソフトボール部を作られ、サードを守り、長打が得意の4番バッターでした。3年生の時の区大会では、雅子様は、雨の中泥んこになっての逆転サヨナラ優勝を成し遂げています。


(1979年7月から父・小和田恆氏が、在米日本大使館公使に就任したため、米国のマサチューセッツ州ボストン市へ移住)


1979年(昭和54年)
ボストン市郊外のベルモント市にある『マサチューセッツ州立ベルモント・ハイスクール』の11年生(日本の高校2年生に相当)として転入


雅子様は、2年間通学し、ソフトボール部数学クラブに所属しました。


『High Honor student (最優等学生)』と認められ、アメリカ政府が米国全体の上位5%の生徒に贈る『ナショナル・オーナー・ソサイティー(National Honor Society(NHS))』を受賞しました。


また、高校(12年生)から大学1年にかけて、雅子様は、講談社がアメリカで編集製作していた『エンサイクロペディア・オブ・ジャパン(英語版日本百科事典)』の編集も手伝っています。

雅子様高校時代ソフト部


1981年(昭和56年) 『マサチューセッツ州立ベルモント・ハイスクール』を卒業


雅子様の学歴 大学は?

皇后雅子様ハーバード大学卒業

1981年 『ハーバード大学』経済学部に入学 国際経済学専攻
父・小和田恆氏が、在ソ連特命全権公使に就任したため、小和田家は、ロシアのモスクワに引越しましたが、雅子様1人がアメリカに残りました。


雅子様は、『ハーバード大学』在学中は、心身障害児の運動指導フランス語のサークルに参加しました。


また、雅子様は、『ハーバード大学』1年時に、『日本文化クラブ(ジャパニーズ・カルチャー・ソサエティー)』を自ら創立し、1年のときに書記を担当、2年で副会長、3年のときには会長を務めました。


『ハーバード大学』1年の夏休みには、ドイツに2か月滞在し、『ゲーテ・インスティチュート』でドイツ語の特訓をし、2年の夏休みにはフランスの『グルノーブル大学』の『フランス語夏期講座』に参加し、外国語を学ばれました。


海外生活が多い雅子様ですが、初等教育・中等教は、日本で生活し義務教育を受けているんですね。


1985年(昭和60年)6月 『ハーバード大学』を卒業

 
卒業論文『External Adjustment to Import Price Shocks : Oil in Japanese Trade(輸入価格ショックに対する外的調節:日本の貿易における石油)』では、70年代と80年代のオイルショック後の日本の貿易政策で、輸出を増やし石油を輸入した日本のやり方を分析しました。


成績優秀な学生に贈られる『マグナ・クム・ラウデ、優等賞(Magna Cum Laude)』を受賞。1985年の卒業生1681人でを受賞した学生は55人で、雅子様が在籍した経済学部では3名でした。


卒業論文の指導教官・ジェフリー・サックス(理論経済学者): 『彼女のコンピューター分析は、特に学部生としては高度なものだった。夜遅くまでコンピューターにかかりきりだった姿は忘れません」


卒業論文の指導教官・エズラ・ファイヴェル・ヴォーゲル教授(『ジャパン・アズ・ナンバーワン』著者): 『彼女は非常にプロフェッショナルな意識が強い女性で、よく勉強しました』

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皇后雅子様の職歴 以前の仕事は?

雅子様は、1985年(昭和60年)6月に『ハーバード大学』を卒業後、1986年(昭和61年)4月に、『東京大学法学部第3類(政治コース)』の3学年に、外部学士入学しています。100人中3人の合格でした。


雅子さまは、婚約内定後、この時アメリカに残らず日本に帰国したことにつて、「米国に残ったら根無し草になってしまうような気がして日本に帰りたかった」と語っています。


しかし、駐スウェーデン特命全権大使・村角泰の娘が外交官になったことに刺激を受けて、雅子様も外交官を志し、1986年10月、見事に、『外務公務員上級採用I種試験(外交官試験)』に合格(合格者は28人でうち女性は3人)していしています。

皇后雅子様 外交官試験合格


1987年(昭和62年) 東京大学を中途退学し、外交官として『外務省』に入省 『経済局国際機関第二課』に配属されました。


1988年(昭和63年) 『外務省の研修留学』として、『オックスフォード大学ベリオール・カレッジ』に留学

皇后雅子様外交官ケンブリッジ留学



雅子様が、お妃候補と報道され、大学にまで日本からのマスコミが押しかける騒ぎにもなりました。


(1988年7月9日から11日 第16回先進国首脳会議(G7ヒューストンサミット)の半導体の市場開放問題担当海部俊樹の通訳の一人として父・小和田恆とともに米国に出張。 )


1990年(平成2年)6月 『オックスフォード大学』研修留学から帰国後、7月1日付で『北米局北米二課』に配属されました。


1991年3月 スウェーデン首相イングヴァール・カールソンの歓迎夕食会通訳として出席


1991年3月月11日 港区外務省飯倉公館で行われた米国国務長官ジェイムズ・ベイカーと当時の外務大臣渡辺美智雄、竹下登、中曽根康弘の会談通訳として出席


雅子様は、総計して、外務省の外交官として5年10か月(留学期間を省くと4年)務めました。これほど海外滞在経験の妃あるいは、皇后は日本史上初めてとなるそうです。


皇后雅子様の若い頃の学歴&職歴がすごい!中学・高校・大学はどこ?まとめ

皇后雅子様の通われた小学校や中学、高校、大学はどこなのか?皇室にに嫁ぐ以前はどんな仕事をされていたのかなど、雅子様の若い頃の様子や雅子様の学歴や職歴についてまとめてみました。


皇后雅子様は、アメリカの『ハーバード大学』を卒業後、日本に戻り、『東京大学』在学中に外交官試験に合格し、外交官として、また、通訳としても活躍されていたんですね。


トランプ大統領との会談で、“通訳なし”が話題になっていましたが、雅子様自身が通訳をしていたレベルの英語力の持ち主なんですね。


英語力だけでなく、様々な海外経験や外交官としての経験も生かして皇室外交に行かれることでしょう。雅子様の語学力や立ち振る舞いや気遣いに一目置かれる海外の要人の方々も多いのではないでしょうか?


日本国民として、皇后雅子様を誇りに思います。



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