紀子さまの学歴 出身大学や高校、中学は小学校はどこなのか?紀子さまの生い立ちと経歴は?などについてご紹介します。
いつも笑みを絶やさずおっとりとした雰囲気に紀子さまですが、特に小学校の頃は、大変忙しい小学生時代を過ごしていました。
紀子さま、なかなかの頑張り屋さんでした!
紀子さまの出身大学院はどこ?
紀子さまは、1989年3月に大学を卒業後、1989年4月に『学習院大学大学院』人文科学研究科へ進学し、社会心理学を専攻しています。
1991年眞子さま、1994年佳子さまを出産した後、1995年に、29歳で『学習院大学大学院』
人文科学研究科心理学専攻博士前期課程を修了しています。
所在地 | 〒171-8588 東京都豊島区目白1丁目5−1 |
最寄駅 | JR山手線「目白」駅下車 徒歩30秒 東京メトロ副都心線「雑司が谷」駅下車 徒歩7分 |
紀子さまの大学院時代
1989年9月12日 秋篠宮文仁親王(あきしののみや ふみひとしんのう)同席でお2人の婚約にあたって記者会見を行いました。
1990年(平成2年)1月12日 昭和天皇の喪が明けた後、『納采の儀』が執り行われ、正式に婚約が成立
紀子さまが、その当時、学習院大学教職員用の共同住宅に住んでいたことから、マスコミなどから『3LDKのプリンセス』、『一般家庭から誕生した現代のシンデレラ』となどと呼ばれました。
紀子さまは、ナマズをあしらった婚約指輪を文仁親王に贈りました。
1990年6月29日 『結婚の儀』が行なわれ、これに伴い戸籍から消除され、皇族譜に記載されました。
また、紀子さまは、ペンシルベニアに滞在中、知人から贈られ、子供の頃から大切にしていた『犬のぬいぐるみ』を嫁入り道具の片隅にしのばせたそうです。
紀子さまは、子供の頃、その『犬のぬいぐるみ』を肌身離さず持ち歩き、寝る時も一緒だったそうです。
成婚を記念テレビ番組の中で、川嶋紀子と礼宮文仁親王の出会いと苦悩を描いた「平成のシンデレラ 紀子さま物語」というアニメが放送されました。
1991年10月23日 眞子内親王を出産
1994年12月29日 佳子内親王を出産
紀子さまの出身大学はどこ?
紀子さまの出身大学は、『学習院大学』文学部心理学科です。
紀子さまは、1985年4月に入学し、1989年3月年に卒業しています。
所在地 | 〒171-8588 東京都豊島区目白1丁目5−1 |
最寄駅 | JR山手線「目白」駅下車 徒歩30秒 東京メトロ副都心線「雑司が谷」駅下車 徒歩7分 |
紀子さまの大学時代
紀子さまは、『自然文化研究会』のほか、『心理研究会』、『手話サークル』に所属していました。
手話は、文化祭で手話劇を観た際に感動し、『手話サークル』に入ったそうです。
紀子さまは、言葉が不自由な学生に付き添って講義を受け、通訳をしたりノートを取ったり、身障者の車椅子を押したり、自閉症の子どもの面倒を見るなどのボランティア活動も行っていました。
また、大学内外の国際交流団体で留学生の世話をしたり、アジア問題など興味を持つ分野の講義を、他大学で聴講したこともあったそうです。
また、紀子さまは、学習院大学在学中に、大学構内にある書店で、その後結婚することとなる文仁親王と出会ってます。文仁親王は、大学の1年先輩にあたるそうです。
それ以降、紀子さまと文仁親王は、サークル活動を通して交際を深めていきました。
1986年6月26日、紀子さまは、文仁親王から求婚を受けますが、即答は避けたそうです。
しかし、紀子さまは、早い段階から宮中にも招かれ、義父となる皇太子明仁(あきひと)親王(当時)らとも面会していました。
文仁親王が主宰する『テニスサークル』では、皇太子明仁親王、美智子妃(当時)も参加してダブルスの試合に興じ、楽しんでいたそうです。
明仁親王は、「キコちゃん」と気さくに呼びかけたり、軽食をすすめたりするなど、ごく自然に一家に溶け込めるよう心配りをしたそうです。
1987年9月 大学3年生、21歳の時に『東南アジア青年の船』に参加しています。
紀子さまの出身高校はどこ?
紀子さまの出身高校は、『学習院女子高等科』です。
紀子さまは、1982年4月に入学し、1985年3月に卒業しています。
所在地 | 〒162-8656 東京都新宿区戸山三丁目20番1号 |
最寄駅 | 東京メトロ副都心線 西早稲田駅から徒歩約1分 東京メトロ東西線 早稲田駅から徒歩約10分 山手線・西武新宿線 高田馬場駅から徒歩約20分 |
紀子さまは、女子高等科時代には、クラスで選ばれて厚生委員を務めました。
紀子さまの高校時代
紀子さまは、『学習院女子高等科』時代、街頭に立ってハンセン病患者をはじめ恵まれない人たちへの募金を呼びかけたり、身体障害者の人たちが作った絵葉書をすすめたりする活動に取り組みました。
英語の他に、ドイツ語も習得していた紀子さまですが、第二外国語では、『中国語』を選択。
“何でもやってみたい!”とあえて新しい語学に挑戦しました。
紀子さまは、高校2年生の時のスキー教室では、スキーはオーストリア仕込みで、学年でただ一人の上級コースを滑る腕前だったそうです。
学習院女子高等科時代には、硬式テニスで学習院内のダブルス戦で優勝しています。
高校3年生の時は、学年で2番という優秀な成績を修めています。
紀子さまの出身中学校はどこ?
紀子さまの出身中学校は、『学習院女子中等科』です。
1979年9月、13歳で、オーストリア・ウィーンから日本に帰国後、学習院女子中等科へ編入し、1982年3月に卒業しています。
所在地 | 〒162-8656 東京都新宿区戸山三丁目20番1号 |
最寄駅 | 東京メトロ副都心線 西早稲田駅から徒歩約1分 東京メトロ東西線 早稲田駅から徒歩約10分 山手線・西武新宿線 高田馬場駅から徒歩約20分 |
紀子さまは、長年の海外生活の影響で日本語に苦労されながらも学業に励みました。
『学習院女子中等科』時代の友人は、“マイペース型で、周囲の人がいろいろ言っても自分のペースを崩さない。それでいて気配りも忘れず、皆を決して副会にしない人だった”と話しています。
紀子さまの中学校時代
紀子さまは、『学習院女子中等科』では、『美術部』に所属し、週2回、他の部員と一緒に、静物画や風景画などを描いていました。
紀子さまのスキーは、オーストリア仕込みで、中学3年の時に、山形県・蔵王で行われた学校のスキースクールでは、1人だけ上級クラスだったそうです。
紀子さまは、中学一年の時に、自宅近くのテニススクールで『硬式テニス』を習い始めました。
紀子さまの出身小学校はどこ?
紀子さまは、父・川嶋辰彦氏の転勤により、日本国内だけでなく海外も含め、5回も転校し、6つの小学校を転々とすることになります。
紀子さまの出身小学校①ヘンリー・C・リーエレメンタリースクール
紀子さまの1つ目の小学校は、アメリカ・ペンシルベニア州の(Pennsylvania)フィラデルフィア(Philadelphia)市立『ヘンリー・C・リーエレメンタリースクール』(Henry C. Lea Elementary School)です。
1971年、5歳の時に、『ヘンリー・C・リーエレメンタリースクール』に入学しています。
紀子さまのご両親は、“人種をん超えた人間個人の素晴らしさを日常生活の中から知ってほしい”と思い、あえて黒人の子供達が大多数の小学校に入学させることにしました。
また、ご両親は、先入観や偏見を持たせず、自分なりの物の見方や考え方を構築していくうえで参考になればと、色々な場所に出かけ、様々な物を見せようと心がけたそうです。
ヘビと言うと一般的に“気持ちが悪い生き物”というイメージを持つ人が多いですが、そうしたものに対しても先入観を抱かせないように、紀子さまのご両親は、ペンシルバニアにいた際には、『ワシントン・クロッシング州立公園』の自然博物館で、胴の直径が5,6センチもあるヘビを触って見せると、紀子さまもヘビを興味深そうに撫でていたそうです。
紀子さまの出身小学校②静岡市立中田小学校
紀子さまの2つ目の小学校は、静岡市立『中田小学校』です。
1973年に、父・川嶋辰彦が学習院大学助教授に就任のため日本に帰国となり、紀子さまは、1973年6月、6歳の時に、静岡市立『中田小学校』の1年に編入学し、同年9月に転校しています。
所在地 | 〒422-8041 静岡県静岡市駿河区中田二丁目14番1号 |
最寄駅 | しずてつジャストラインみなみ線 「中田小学校」停留所から徒歩1分 |
それまで英語で暮らしていた紀子さまにとって、日本語が難しく、小学校では置いてきぼりになりながらも必死に日本語を覚えたそうです。
紀子さまの出身小学校③新宿区立早稲田小学校
紀子さまの3つ目の小学校は、新宿区立『早稲田小学校』です。
1973年9月、7歳の時に、新宿区戸山へ引っ越し、新宿区立『早稲田小学校』に編入学し、1年半程で転校ています。
所在地 | 〒160-0043 東京都新宿区早稲田南町25番地 |
最寄駅 | 東京メトロ東西線早稲田駅(出口1)から徒歩約345m・約5~6分 都営バス「早81」系統で、「喜久井町」バス停から徒歩約225m・約3~4分 |
紀子さまの出身小学校④豊島区立目白小学校
紀子さまの4つ目の小学校は、豊島区立『目白小学校』です。
紀子さまは、1975年4月、9歳の時に、豊島区目白の学習院職員寮に引っ越し、豊島区立『目白小学校』の3年に編入し、1年程で転校ています。
所在地 | 〒171-0031東京都豊島区目白2丁目11-6 |
最寄駅 | JR山手線『目白駅』 |
紀子さまの出身小学校⑤学習院初等科
紀子さまの5つ目の小学校は、『学習院初等科』です。
紀子さまは、1976年、10歳の時に、『学習院初等科』へ編入し、翌年の1学期を終えた段階で転校しています。
所在地 | 〒160-0011 東京都新宿区若葉一丁目23番地1 |
最寄駅 | JR『四ツ谷駅』1出口から徒歩約6分 |
紀子さまの出身小学校⑥アメリカ・インターナショナル・スクール・オブ・ウィーン
紀子さまの6つ目の小学校は、オーストリア・ウィーンにある『アメリカ・インターナショナル・スクール・オブ・ウィーン』(The American International School of Vienna、AIS)です。
紀子さま、1977年年8月、11歳で、『アメリカ・インターナショナル・スクール・オブ・ウィーン』に6年に編入しています。
所在地 | Salmannsdorfer Strasse 47, 1190 Vienna, Austria |
TEL | +43 1 40132 |
1977年、『学習院初等科』在学中、1学期を終えた段階で、父・川嶋辰彦氏が、がオーストリアウィーン郊外のニーダーエスターライヒ州ラクセンブルクにある『国際応用システム分析研究所』(International Institute for Applied Systems Analysis、IIASA)の主任研究員として招かれたため、家族でオーストリアに移住し、約2年間過ごすこととなります。
紀子さまは、この期間に、英語に磨きをかける一方、ドイツ語も日常会話に困らない程度にまで習得したそうです。
紀子さまは、5歳の時に乗馬を習い始めていますが、ウィーン滞在中に、郊外にある『乗馬訓練学校』でキャンプ生活も体験しています。
1979年の冬、家族でオーストリア・アルプスのスキー場に出かけ、紀子さまが、弟・船君とリフトで山頂に上り、舟君を連れてスキーをした際、悪天候に見舞われ、強風と深い霧に包まれてしまいました。
他の親子連れ達が子供をおんぶして下山していましたが、紀子さまは、スキーを履かせたままの弟・舟君を自分の両足の間に挟み、ゆっくりと蛇行しながらスキーで滑って降りてきたそうです。
父・川嶋氏は、“私の仕事の都合で小学校を6回も変わりましたが、登校を嫌がったりいたしますことは、なかったように記憶しております。”と語っています。
紀子さま出身幼稚園はどこ?
紀子さま出身幼稚園①
紀子さまの1つ目の幼稚園は、アメリカ合衆国ペンシルベニア州(Pennsylvania)フィラデルフィア(Philadelphia)のローズモント大学(Rosemont University)付属『ローズモント・トゥリニティー・スクール(Rosemont Trinity School)』です。
紀子さまは、1969年9月、3歳で、『ローズモント・トゥリニティー・スクール』に入園しています。
紀子さま出身幼稚園②
紀子さまの2つ目の幼稚園は、アメリカ合衆国ペンシルベニア州(Pennsylvania)の『セント・メリーキンダーガーデン(St. Mary Kindergarten)』です。
1970年9月、4歳で『セント・メリーキンダーガーデン(St. Mary Kindergarten)』に入園しています。
紀子さまの生い立ち
紀子さまは、1966年9月11日、川嶋辰彦と和代夫妻の長女として静岡県静岡市駿河区の
恩賜財団『済生会静岡済生会総合病院』にて誕生しました。
「紀子」という名前は、和歌山県の旧国名紀伊国に由来するという説と、父方の祖母・紀子(いとこ)に顔立ちが似ていたからという説があるといわれます。
父・川嶋辰彦氏が、1969年に、ペンシルベニア大学大学院に留学したことから、紀子さまが、3歳になった頃に、家族で渡米し、6歳までアメリカ合衆国ペンシルベニア州で過ごし、その後も、中学校までは、日本と海外を転々とすることになりました。
紀子さまは、アメリカ滞米中の4歳頃からピアノを習い始め、その後、高校3年生まで個人レッスンを続けてました。また、5歳の時に乗馬を習い始めています。
紀子さまの経歴
2019年5月1日 徳仁の即位に伴い、夫の文仁親王は皇嗣となり、皇嗣妃となる
2018年12月 タイで開催された「第11回母子手帳国際会議」に出席
日本赤十字社名誉副総裁として日本赤十字地方大会などの行事に臨席
2018年10月 『国際結核肺疾患予防連合名誉会員』に就任
2017年6月 『お茶の水女子大学人間発達教育科学研究所特別招聘研究員』に就任
2015年9月 『皇室会議予備議員』に就任
2015年4月 『日本赤十字社名誉副総裁』『大聖寺文化・護友会名誉総裁』に就任
2013年 お茶の水女子大学に論文を提出し、3月、論文博士(人文科学)の学位が大学から授与される
2010年10月 『恩賜財団母子愛育会総裁』に就任
2010年からは結核予防婦人会のメンバーや女子大生ら計約千人に結核予防に関する意識調査を実施し、心理学的な手法で分析して論文にまとめました。
2009年2月 『日本学術振興会名誉特別研究員』に就任
2009年に日本学術振興会が、出産や育児で研究を中断させた女性の研究員を研究現場に復職させるために設けた制度を適用し、「名誉特別研究員」となって研究活動を再開します。お茶の水女子大学が紀子さまの受け入れ先となりました。
2009年8月 ベアトリックス女王及びオランダ政府の招待により、オランダを公式訪問
秋篠宮夫妻の訪問は日蘭通商400周年の機会を捉えたものであり、滞在中、日蘭通商400周年記念式典へ出席の他、バルケネンデ首相表敬、地方視察、(アムステルダム、バルネフェルト、アッペルドールン)等の日程を精力的にこなした。
2006年9月6日 皇族としては初となる帝王切開により悠仁親王を出産
1994年4月 『財団法人結核予防会(現在は公益財団法人結核予防会)の総裁』に就任
結核予防全国大会、結核予防関係婦人団体中央講習会、結核国際研修の研修生との懇談会などに臨席
1994年12月29日 佳子内親王を出産
1991年10月23日 眞子内親王を出産
1990年6月 『結婚の儀』『即位礼正殿の儀』
1990年1月 『納采の儀』(婚約)
天皇一家は各自演奏の出来る楽器を持ち寄り合奏を楽しむことがあり、ピアノは美智子皇后が得意とする楽器であることもあり、紀子さまは、合奏の際には皇后と同じ楽器ではなく別の楽器で参加をとの考えから、以前より興味のあったチターを習い始め、今では趣味のひとつになっているそうです。
紀子さまの学歴 大学高校中学は?生い立ち経歴は?まとめ
紀子さまの学歴 出身大学や高校、中学は小学校はどこなのか?紀子さまの生い立ちと経歴は?などについてご紹介しました。
いつも笑みを絶やさずおっとりとした雰囲気に紀子さまですが、小学校の頃は、海外も含めて6回も転校するという大変忙しい小学生時代を過ごしていたのですね。
生粋の日本人の様な立ち振る舞いの紀子さまからは思いもよりませんでしたが、幼少の頃にアメリカで過ごされ、英語を母国語の様に話していた紀子さまにとって、日本語の習得と日本語で学ぶという事に苦労した時期もあったのですね。
紀子さまのプロフィール
全名: 紀子(きこ)
旧名: 川嶋 紀子(かわしま きこ)
身位: 親王妃 敬称: 殿下
出生: 1966年9月11日
配偶者: 秋篠宮文仁親王
子女: 小室眞子(眞子内親王)、佳子内親王、悠仁親王
栄典: 勲一等宝冠章
役職: 結核予防会総裁、恩賜財団母子愛育会総裁、大聖寺文化・護友会名誉総裁、日本赤十字社名誉副総裁