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白川 裕二郎の学歴 ・出身大学高校中学は?経歴を徹底解説!

白川 裕二郎の学歴出身大学高校中学は? 経歴は? 演歌
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白川裕二郎さんの学歴、出身高校・中学校・小学校、そして芸能界デビューまで経歴についてご紹介します。

演歌歌手としてだけでなく、俳優や声優としても幅広く活躍している白川裕二郎さん。 異色のキャリアの持ち主でもあるんですね!

この記事では、白川裕二郎さんの学歴はもちろん、芸能界に進むきっかけとなったエピソードなど、意外な経歴やプライベートな一面もわかりやすくまとめています。

ぜひ最後までチェックしてくださいね!

白川 裕二郎のプロフィール

名 前: 白川 裕二郎(しらかわ ゆうじろう)
生年月日: 1976年12月11日
出身地: 神奈川県横浜市
血液型: A型
身 長: 185cm
体 重: 74kg
所属事務所: G-STAR.PRO(ジースター・プロ)
職 業: 歌手、俳優、声優、元大相撲力士
活動期間: 1996年~
所属芸能事務所: G-STAR.PRO
特 技: 柔道、相撲、バレーボール、筋トレ
趣 味: 料理、愛猫とのふれあい、映画鑑賞
好きなアーティスト:  尾崎豊、ジョナサン・ラーソン
好きな漫画家:  原哲夫
座右の銘:  「努力はうそをつかない」、「あきらめないのも才能」

白川 裕二郎の学歴 出身大学はどこ?

白川 裕二郎さんは、1992年3月に高校卒業後、大学には進学せず、 体力づくりの一環として柔道道場に通い始めます。

その道場で、白川 裕二郎さんは、 偶然訪れていた大相撲・「朝日山部屋 」おかみさんにスカウトされたことがきっかけで、相撲界入りを決意します。

朝日山部屋は東京都にあり、白川さんの地元・神奈川県からは距離がありましたが、白川 裕二郎さんは、 上京して入門しています。

新弟子検査では体重が足りなかったため、ペットボトルの水を飲んで基準をクリアしたそうです。

何とかして、自分の人生を切り開こうとする気持ちが伝わってきますね。

白川 裕二郎の高校卒業後の活動は?

大相撲・「朝日山部屋 」 に入門した白川 裕二郎 さんは、1993年3月場所に初土俵を踏み、「綱ノ富士 裕二郎(つなのふじ ゆうじろう)」の四股名で力士としてデビュー

大相撲・「朝日山部屋 」 に入門した白川 裕二郎 さんは、1993年3月場所に初土俵を踏み、「綱ノ富士 裕二郎(つなのふじ ゆうじろう)」の四股名で力士としてデビューを果たしました。

所属は朝日山部屋で、階級は序ノ口からスタートです。

白川 裕二郎 さんは、身長の高さを活かして懸命に取り組みましたが、体重が軽く当たり負けする場面も多く、腰や膝の故障にも悩まされます。

約2年強の相撲生活の中で、怪我による戦線離脱と回復の繰り返しにより、思うように番付を上げることができず、1995年頃に引退を決断します。

力士として大きな成果を残すことはできなかったものの、厳しい相撲部屋での経験は、後の芸能活動に活きる「精神力」と「礼儀」を培う期間となりました。

その後、将来の進路に悩む中、母親が偶然持ち帰ってきた俳優養成所のパンフレットがきっかけで、白川 裕二郎 さんは、芸能界への道に興味を持つようになり、養成所にも通い始めます。

1996年頃から舞台俳優として芸能活動をスタートさせました。 

最初は小劇場での出演から始まりましたが、白川 裕二郎 さんの真面目な姿勢と存在感のある演技が評価され、次第に映像作品にも出演の機会を得るようになります。 

2002年にはスーパー戦隊シリーズ『忍風戦隊ハリケンジャー』霞一甲/カブトライジャー役としてテレビドラマデビューを果たします。

これが白川 裕二郎 さんの俳優としての本格的な映像作品デビューとなり、注目を集めました。

その後も、ドラマ『牡丹と薔薇』(2004年)で主要キャストを務めたほか、『功名が辻』(2006年)、『天地人』(2009年)などNHK大河ドラマにも出演し、俳優としての実績を積み重ねていきました。

また、2007年には男性歌謡グループ「純烈」のメンバーに選ばれ、歌手としても活動を開始。 

2007年から2010年1月まで芸名「侑二朗」に一時的に改名。これは純烈の結成と新たな挑戦にあたって心機一転を図るためのものでした。

2010年の純烈インディーズデビューに合わせて本名の「白川裕二郎」に戻し、以降は歌手・俳優として幅広く活躍しています。

2021年のWOWOWドラマ『演じ屋』で原田辰巳役を演じ、シリアスな大人の役柄でも存在感を発揮。

このように、白川裕二郎さんの高校卒業後の歩みは、スポーツから相撲、そして芸能へとつながる、努力と転機の連続だったといえるでしょう。

白川 裕二郎の学歴 出身高校はどこ?

白川 裕二郎さんの出身高校は、神奈川県立「新栄高校 」

白川 裕二郎さんの出身高校は、神奈川県立「新栄高校 」です。 

生年月日が1976年12月11日なので、一般的な学年進行に従うと、1989年4月入学し、1992年3月卒業したと推定されます。

所在地〒223-0056  神奈川県横浜市港北区新吉田町6058番地
最寄駅東急東横線「綱島駅」からバスで約10分+徒歩数分
東急東横線「日吉駅」からバスで約15分 徒歩約5~10分
横浜市営地下鉄ブルーライン「新羽駅」からバスで約10分+徒歩数分

新栄高校の特徴は、運動部が活発で、部活動に力を入れている校風にあります。 

また、校則は比較的自由で、生徒自身が自主的に行動することを重視する教育方針が取られています。

白川 裕二郎の高校時代

白川 裕二郎さんは、高校時代、「バレーボール部 」に所属していました。

入学当初から身長は180cmを超えており、バレーボールには非常に有利な体格でしたが、体重が細かったため、周囲から「細いね」と声をかけられることも多かったそうです。 

その言葉をきっかけで、白川 裕二郎さんは、 より強い体を作るために筋力トレーニングに励むようになります。

腕立て伏せやフリーウエイトトレーニングなど、自宅や学校でひたすら体を鍛えていたと言います。 

ちなみに、高校時代の趣味は、“筋トレ ”だったそうです

白川 裕二郎さんは、 母親と姉の3人で暮らしていました。

白川 裕二郎さんの母親小学校教師として働きながら一家を支えていたため、家族そろっての食事は少なく、白川 裕二郎さんが料理家事をこなすことも多かったそうです。 

白川 裕二郎の学歴 出身中学校はどこ?

白川 裕二郎さんの出身中学校は、神奈川県横浜市立「新田中学校 」です。 

生年月日が1976年12月11日なので、一般的な学年進行に従うと、1989年4月入学し、1992年3月卒業したと推定されます。

所在地〒223-0058  神奈川県横浜市港北区新吉田東5丁目55番1号 
最寄駅横浜市営地下鉄ブルーライン「新羽駅」から徒歩約20分
東急東横線「綱島駅」からバスで約10分
(「新田農協前」バス停下車後、徒歩約5分)

新田中学校は、部活動が盛んで、生徒の自主性を重んじています。 

白川 裕二郎の中学校時代

白川 裕二郎さんは、中学時代「柔道部 」に所属していました。 

白川 裕二郎さんの中学時代の身長は178cm、体重58kgとかなり細身の体型でしたが、運動神経は抜群だったそうです。

母子家庭で、 母親は教師として忙しく働いていたため、 家事を手伝うのが当たり前になっており、自分のことは自分でやるという意識が非常に強かったそうです。 

趣味は料理で、チャーハン味噌汁などを自分で作れるようになっていました。 

家族揃っての食事が少なかった分、たまに一緒に食卓を囲む時間は、白川 裕二郎さんにとって“特別な思い出だった ”と語っています。

また、飼っていた猫を交通事故で失った際には、深く悲しんだエピソードもあり、感受性豊かで繊細な一面も持っていました。 

白川 裕二郎の学歴 出身小学校はどこ?

白川 裕二郎さんの出身小学校は、公式には明らかにされていません。 

しかし、出身中学校が横浜市立新田中学校であることから、その学区内にある横浜市立新吉田小学校、綱島小学校、北綱島小学校、大曽根小学校のいずれかに通っていたと推測されています。

生年月日が1976年12月11日なので、一般的な学年進行に従うと、1983年4月小学校へ入学し、1989年3月卒業したと推定されます。

白川 裕二郎の小学校時代

白川 裕二郎の小学校時代      【歌の手帖2022年6月号】白川裕二郎【純烈】“素顔のままで”巻頭インタビューより

小学校5年生のとき、相撲大会で優勝。持っているのは、なぜか柔道の大会で貰ったトロフィー(笑) 

白川 裕二郎さんは、小学生の頃から大相撲中継をテレビを熱心に観ており、千代の富士に憧れていました。  

積極的な性格で、「ちびっこ相撲」など地域の相撲大会などにも自ら進んで参加し、優勝したことがあります。 

白川 裕二郎さんは、小学生の頃からすでに、相撲に親しみ、勝負の楽しさを知っていたようです。

白川 裕二郎 の父親会社経営者母親小学校教師共働きだったため、家族全員がそろって食事をする機会は少なかったそうです。 

白川 裕二郎は、母親と協力して家事をこなすなど、責任感の強い性格が小学生の頃から自然と育っていったようです。 

小学校3年生頃に米を炊き始め簡単な料理も自分で作るようになっていたそうです。

小学6年生のときに父親肺がん亡くすという悲しい経験をし、それ以降は母親と姉との3人で暮らすことになります。 

この経験が、白川 裕二郎さんの精神的なタフさと、人を思いやる優しさを育てたのでしょうね。

白川 裕二郎の芸能界に入ったキッカケは?

白川 裕二郎さんが芸能界に入ったきっかけは、力士を引退した後の新たな道を模索していたことにあります。

高校卒業後、朝日山部屋に入門して力士として活動していた白川 裕二郎さんですが、度重なるケガにより大相撲を引退する決断をします。

その頃、母親から劇団のポスターを見せられたことがきっかけで、また俳優養成の場を紹介され、本格的に演技のレッスンを受け始め、俳優に転身しています。

最初は小劇場での舞台出演からスタートし、地道に演技力を磨いていきます。

白川 裕二郎さんの高身長で引き締まった体格、そして落ち着いた声質は、舞台の上で存在感を放ち、当初は舞台俳優としてキャリアをスタートさせましたが、徐々にドラマや映画など映像作品にも出演するようになりました。

2002年『忍風戦隊ハリケンジャー』の霞一甲 / カブトライジャー役として俳優デビュー。 

その後、2007年には男性歌謡グループ「純烈」のメンバーに選ばれ、歌手としても活動を開始しました。

俳優業と並行して純烈での活動を続け、今ではグループの中心メンバーとして全国的な人気を誇っています。

2021年1月9日放送のNHK BS1『大相撲どすこい研(第4回・関脇編)』にゲスト出演

2021年 1月16日号『大相撲中継』(令和3年 初場所号)にて対談が掲載される

白川 裕二郎さんは、大相撲関係からも声がかかるようになりました。

白川 裕二郎さんにとって芸能界入りは、力士引退後の人生を切り開くための大きな挑戦でしたが、その努力が現在の多方面での活躍へとつながっています。

白川 裕二郎の芸能界での経歴

2024年 「純烈魂」 シングル
2024年 「純烈ジャー 追い焚き☆御免」 鳳(オオトリ)役
2023年 「ハミングバード」 シングル
2023年 「純烈ジャー THE FINAL」 鳳(オオトリ)役
2022年 「君を奪い去りたい」 シングル
2022年 「純烈ジャー」 鳳(オオトリ)役
2021年 「演じ屋」(WOWOW) 原田辰巳 役
2021年 「君がそばにいるから」 シングル
2021年 「純烈ジャー」 テレビ出演(鳳役)
2020年 「愛をください~Don’t you cry~」 シングル
2020年 「純烈コンサート2020」 メイン出演
2019年 「純烈のハッピーバースデー」 シングル
2019年 「スーパー戦闘 純烈ジャー」 舞台出演
2018年 「プロポーズ」 シングル
2018年 「純烈コンサート2018」 メイン出演
2017年 「愛でしばりたい」 シングル
2017年 「純烈 温泉ライブツアー」 主演
2016年 「幸せのサンプル」 シングル
2016年 「スーパー戦隊魂2016」 出演
2015年 「今夜 涙じゃ帰れない」 シングル
2015年 「映画 純烈物語」 出演
2014年 「スターライト札幌」 シングル
2014年 「純烈 in サマーライブ」 出演
2013年 「涙の銀座線」 シングル(メジャー再リリース版)
2013年 「ドラマ『純烈の純情』」 出演
2012年 「キサス・キサス東京」 シングル
2012年 「バラエティ『純烈SHOW』」 出演
2011年 「ひとりじゃないから」 シングル
2011年 「純烈 温泉旅館ライブ」 出演
2010年 「涙の銀座線」 シングル(インディーズ版デビュー)
2010年 「純烈 結成記念ライブ」 初ステージ
2009年 「天地人」 中条景泰 役(NHK大河ドラマ)
2007年 「純烈」結成、芸名を「侑二朗」に改名
2006年 「功名が辻」 平野長泰 役(NHK大河ドラマ)
2006年 「激闘!アイドル予備校」 葉咲慎也 役
2006年 「慶次郎縁側日記3」 出演(NHK)
2004年 「駄目ナリ!」 黒山辰巳 役
2004年 「牡丹と薔薇」 柏木雅也 役(フジテレビ)
2003年 「17才・夏」 アキラ 役
2003年 「天罰屋くれない 闇の始末帖」 沈黙の壱松 役
2002年 「忍風戦隊ハリケンジャー」 霞一甲/カブトライジャー 役(俳優デビュー作)

白川 裕二郎の学歴・出身大学高校中学は?経歴は?まとめ

白川 裕二郎さんは、大学には進学せず、高校卒業後に大相撲の朝日山部屋へ入門しました。 

高校卒業後は力士として厳しい稽古に取り組みましたが、ケガにより引退。その後、俳優として芸能界デビューを果たしました。

俳優業だけでなく、2007年からは男性歌謡グループ「純烈」のメンバーとして歌手活動もスタート。さらには声優業にも挑戦し、マルチな才能を発揮しています。 

白川 裕二郎 さんは、どんな環境でも努力を惜しまない強さと、温かい人柄で多くのファンに愛され続けています。

今後のさらなる活躍にも注目していきたいですね。

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