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国木田彩良 の家族 家族 父親母親は?母の家系がスゴすぎ!!

国木田 彩良
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モデル・国木田 彩良さんの家族 母親父親は芸能界へのキッカケや経過について調べてみました。

 

国木田 彩良さんの母方の家系が豪華でした!

国木田 彩良 プロフィール

 

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氏 名: 国木田 彩良(くにきだ さいら、SAIRA KUNIKIDA)
生年月日: 1994年12月
出身地: ロンドン(イギリス)
瞳の色: 茶
毛髪の色: 黒
身 長: 165 cm
スリーサイズ: 80 – 61 – 83 cm
靴のサイズ: 23.0 cm

活 動: 2014年 ー
事務所: ボン イマージュ
趣 味: お菓子作りと乗馬

日本語、英語、フランス語を話します。

 

国木田彩良の父親は?

https://twitter.com/cat_in_a_cage/status/1486685934532050951

国木田彩良さんは、1994年、とても寒い12月の夜中にイギリスのロンドンのビッグベンの近くで生まれたそうです。

 

国木田彩良さんの父親は、イタリア人ですが、詳細については公表されていませんが、イタリア人と日本人のハーフなんですね。

 

堀の深い顔立ちや、日本人離れした体形はイタリア人の父親から受け継いだものなんですね。

 

国木田彩良の母親は? 母親の家系がスゴい!!

 

国木田アコ 国木田彩良の母親

国木田 彩良さんの母親は、日本人で元女優の国木田アコさんで、本名は、国木田吾子さんと言います。

 

国木田アコさんは、1971年に羽仁進監督映画『午前中の時間割』で主演を演じましたが、これ一本のみで映画界から去っています

 

30歳の時にイギリスにわたっています。

 

2017年の幕開けを飾る新年号に、国木田吾子さんと、国木田彩良さんと母親の国木田吾子さんが登場し、母子で共演しました。

 

国木田彩良の母親の高祖父(こうそふ)・曾祖父の父は国木田独歩?

国木田 彩良さんの母方の高祖父(こうそふ)・曾祖父(そうそふ)の父、いわゆる“ひいひいお祖父ちゃん”に当たる方が、明治時代の小説家「武蔵野」などで有名な国木田独歩です。

 

国木田独歩は、現在も続いている雑誌『婦人画報』の創刊者であり、編集者でもありました。

国木田彩良の母親の高祖父(こうそふ)・曾祖父の父は国木田独歩のプロフィール

国木田 独歩(くにきだ どっぽ)
誕 生: 1871年8月30日
出生地: 宮谷県海上郡銚子(現・千葉県銚子市)
死 没: 1908年6月23日(36歳没)
神奈川県高座郡茅ヶ崎村字西南湖下

職業 小説家・編集者
最終学歴 東京専門学校英語政治科中退(現・早稲田大学)
活動期間 1894年 – 1908年
ジャンル 短編小説
文学活動 ロマン主義・自然主義文学
代表作 『武蔵野』(1898年)
『忘れえぬ人々』(1898年)
『牛肉と馬鈴薯』(1901年)
『酒中日記』(1902年)
『運命論者』(1903年)
『春の鳥』(1904年)
『竹の木戸』(1908年)
デビュー作 『愛弟通信』(1894年)

国木田独歩は、詩や小説を書いていたが、次第に小説に専心するようになり、「武蔵野」「牛肉と馬鈴薯」といった浪漫的な作品の後、「春の鳥」「竹の木戸」などで自然主義文学の先駆とされている。

1905年 雑誌『婦人画報』は小説家の国木田独歩によって誕生

雑誌『婦人画報』は、明治、大正、昭和、平成の時代を日本人女性とともに歩み続け、現在も続いている。

 

※2017年 雑誌『婦人画報』新年号には、国木田独歩の曾孫で現在フランスに暮らす国木田吾子さんと、日本をベースにファッションモデルとして活躍する玄孫の国木田彩良さんが登場しました。

 

国木田彩良の母方の曾祖父(そうそふ)・祖父の父は国木田虎雄?

国木田 彩良さん母方の曾祖父(そうそふ)・祖父の父、いわゆる“ひいお祖父ちゃん”に当たる方が、大正・昭和期の詩人国木田虎雄(くにきだ とらお)です。

国木田彩良の母方の曾祖父(そうそふ)・祖父の父は国木田虎雄のプロフィール

1902年(明治35年)1月5日 – 1970年(昭和45年)
国木田独歩と2番目の妻治子の長男として東京・赤坂に生まれる
病気のため京北中学校を中退

1922年(大正11年)に詩誌『楽園』などに作品を発表
1923年(大正12年)に詩集『鷗』を出版
1924年(大正13年)『独歩随筆集』を出版

松竹蒲田のエキストラ仲間だった香取幸枝(団鬼六の実母)と結婚して鵠沼に暮らすがその後離婚

その後横浜出身の道子と再婚し、円本ブームで手にした父親の莫大な著作印税で新妻とホテル暮らしを始め、競馬で散財していたところを金子光晴に誘われ、1927年(昭和2年)に金子の案内で夫婦で上海に長期滞在して競馬三昧の日々を送る。

戦後は鎌倉に移り、鎌倉文庫勤務を経て藤沢病院精神科の看護長として10年ほど勤務

1970年(昭和45年) 68歳で没

長男に映画俳優の三田隆がいる。

国木田彩良の母方の祖父は三田隆?

国木田 彩良さんの祖父、いわゆる“お祖父ちゃん”が、俳優・三田隆です。

本名は、国木田 篤夫(くにきだ あつお)です。

国木田彩良の母方の祖父は三田隆のプロフィール

本 名: 国木田 篤夫 (くにきだ あつお)
旧芸名: 木田 篤夫 (きだ あつお)、重光 彰 (しげみつ あきら)、重光 彬
生年月日: 1924年6月13日
没年月日: 1961年1月1日(36歳没)
出生地: 東京府東京市(現在の東京都)
身 長: 175cm
職 業: 俳優
ジャンル: 劇映画(時代劇・現代劇、トーキー)
活動期間: 1938年 – 1960年

1924年6月13日、東京府東京市(現在の東京都)に小説家国木田独歩の長男で詩人・映画作家の国木田虎雄の子として生まれる。

1938年 小学生時代、木田篤夫という芸名で東京発声映画製作所が製作した阿部豊監督映画『太陽の子』に、不良少年を教化する農園に収容される少年役で映画デビュー(日本映画データベースでは、本名で出演としている。)

1952年 重光彬という芸名で阿部豊監督映画『私はシベリアの捕虜だった』と、マキノ雅弘監督映画『浮雲日記』で主演

長身で堂々たる体格の二枚目俳優として注目され、次いで宝プロダクションが製作した加藤泰監督映画『ひよどり草紙』に星美智子の相手役で主演。

1952年に大映東京撮影所へ入社

後に芸名も三田隆と改名し、多くの作品に主演を務めたが、1954年以降は早くも脇役に回され、そのせいか1956年に大映を退社する。

退社後もフリーとなって出演を続けたが、間も無く芸能界を引退した。

以後の消息は明らかでなく、

1961年1月1日 36歳で死去

 

俳優・三田隆異母兄弟に当たるのがSM小説の大家・団鬼六さん。

また、2014年の連続テレビ小説『花子とアン』で仲間由紀恵演じる蓮子の駆け落ち相手・宮本龍一役でTVドラマ初レギュラーした、俳優の中島歩親戚にあたり、中島歩も国木田独歩の玄孫にあたります。

 

なんだか、そうそうたるメンバーですね。

生まれながらの血統みたいのものを感じます。

 

国木田彩良 の家族 父親母親は?母の家系がスゴすぎ!!まとめ

国木田 彩良さんの母親の家系の面々には錚々たるものがありますね。

国木田 彩良さん、フランスでファッションをまなばれていて、モデル経験はないがないそうですが、まったく、そんな様子がありませんね。

クールで美しく、国木田 彩良さんから放たれるオーラは、モデルそのものです。

外見だけでなく、ファッションへの愛や、常に自分を磨き続け内面からの輝きのある生まれながらのモデルさんですね。

モデルになるために生まれてきたような人ですね。

英語・フランス語・日本語のトライリンガルを活かし、女優としても活躍されるのではないでしょうか。

国木田 彩良さんの今後の成長と活躍が楽しみです。

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