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今上天皇徳仁天皇(浩宮さま)の学歴大学高校中学は?生立ち経歴は?

今上天皇 徳仁天皇陛下の学歴大学高校中学は?生立ち経歴は? ロイヤル
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今上天皇である徳仁天皇陛下(浩宮さま)の学歴 大学高校中学はどこ?生立ち経歴は?などについてご紹介します。

今上天皇(徳仁天皇陛下、浩宮さま)の大学時代、中学高校時代などの出来事なども、画像などを通して、その成長の過程を楽しんで頂ければと思います。

今上天皇 徳仁天皇(浩宮さま)の出身大学院は?

徳仁天皇陛下の出身大学院は、『学習院大学大学院』人文科学研究科博士前期課程です。

1982年の4月に進学し、1988年に卒業し、文学修士を取得しています。

また、『学習院大学大学院』在学中の1983年10月から1985年までの2年間イギリス『オックスフォード大学』『マートン・カレッジ』に留学しました。

徳仁天皇陛下は、大学時代から一貫して史学に興味を持たれ、幼いころから「道」に関心があったこともあり、とくに交通史を選んで学ばれました。

オックスフォード大学でも、『18世紀のテムズ川の交通』について研究されました。

皇族として初めて大学院に進み、歴代天皇の中で初めて海外留学もされました。

今上天皇 徳仁天皇(浩宮さま)のオックスフォード大学留学時代

徳仁天皇陛下 浩宮 オックスフォード大学寮の部屋

徳仁天皇陛下は、8帖ほどの書斎寝室のある学生寮の部屋で過ごされ、壁にはファンである柏原芳恵やアメリカの女優・ブルック・シールズポスターを貼っていたました。

留学中、徳仁天皇陛下は、学生寮で初めて1人暮らしをして、洋服選びのほか洗濯アイロンがけをしたり、クレジットカード買い物をするなど、身の回りのことは自分でされました。

コインランドリーで洗濯した際、洗剤の量を間違えて泡だらけにしてしまうという失敗も体験しているそうです。

友人とパブでビールを飲んだり、カフェに行ったりGパン姿で高級ディスコに入ろうとして断られたこともあるなど時間に拘束されない生活を楽しんだそうです。

また、『オックスフォード大管弦楽団』に所属し、ビオラ奏者として様々な演奏会にも参加していました。

オックスフォード大学では、普通にいる20代の若者と変わらず、自由と交友を謳歌されていたようですね。

徳仁天皇陛下は、イギリスの大学と日本の大学の違いについては、

“こちらの大学のゼミのやり取りは面白い。日本では女子学生はおとなしくあまり発言しませんが、こちらでは元気でどんどん発言し、論破されてしまいます。いいですねえ。”

“自分の意見をはっきり述べ、服装も気取らず地味なのに感心しました。”

と対等でお互いを尊重し合う男女の関係に語られました。

1985年10月、『オックスフォード大学』留学を終える際には、

“寮の部屋ごと、記念に持って帰りたい心境です”

“今は嬉しい気持ちと淋しい気持ちが半々だ。日本に帰り、皇族として役目を果たすことは楽しみだ。だけど、オックスフォードで得た経験や友情は、僕にはもう二度と手に入らないだろうね。”

とその時の心境を語っていました。

徳仁天皇陛下にとって生まれて初めての、そして二度とないであろう「自由な時間」であったオックスフォード大学での2年間が、充実したものだったことが伺えますね。

それと同時に、いずれ天皇となることへの責任の重さと、天皇になることへの覚悟を感じます。

1985年、帰国後の記者会見では、徳仁天皇陛下は、

“自分でものを考え、自分で決定し、自分でそれを行動に移す。そういったことができるようになったのではないかと思います。”

と述べられました。

徳仁天皇陛下は、『オックスフォード大学』に留学していた2年間のことを『テムズとともに : 英国の二年間』(学習院教養新書)という本にまとめています。

“再びオックスフォードを訪れる時は、今のように自由な一学生としてこの町を見て回ることはできないであろう。

おそらく町そのものは今後も変わらないが、変わるのは自分の立場であろうなどと考えると、妙な焦燥感におそわれ、いっそこのまま時間が止まってくれたらなどと考えてしまう。”

と当時の正直な気持ちを綴っています。

オックスフォード大学留学中は、イギリス王室だけでなく、ヨーロッパの多くの国々も訪問し、様々な国の国家元首や王室の方々とも交流されたようですね。

今上天皇 徳仁天皇(浩宮さま)の大学院時代

イギリス留学から帰国した翌年、1986年10月18日スペイン王女エレナ・デ・ボルボン・イ・デ・グレシアがた来日した際、東京・元赤坂の東宮御所(当時)で開かれた歓迎パーティーで外務省に勤務する国家公務員であった雅子さま(当時 小和田雅子さん)と出会いました。

1987年10月3日から10月10日、昭和天皇の病気療養と父・皇太子明仁親王の外国訪問が重なったため、初めて国事行為を臨時代行しました。

1988年夏の甲子園『第70回全国高等学校野球選手権大会』で開会式後の始球式を務めました。

その時の、相手バッターは常総学院仁志敏久さんで、のちに読売ジャイアンツ等で活躍しました。

1989年、昭和天皇の崩御に伴い今上天皇が即位されたことにより、皇位継承順位1位の皇太子となりました。

今上天皇 徳仁天皇(浩宮さま)の出身大学はどこ?

徳仁天皇紀子さまの出身大学 学習院大学文学部心理学科

徳仁天皇陛下(当時 浩宮さま)の出身大学は、『学習院大学』文学部史学科です。

徳仁天皇陛下は、1975年4月に入学し、1982年3月に卒業し、文学士を取得しています。

所在地〒171-8588 東京都豊島区目白1丁目5−1
最寄駅JR山手線『目白駅』下車徒歩30秒(西門まで)
東京メトロ副都心線『雑司が谷駅』2番出口から徒歩10分(正門まで)
都電荒川線『学習院下』停留場より徒歩5分(南門まで)

それまで多くの皇族方々が、生物学を中心とした自然科学を専攻いましたが、徳仁天皇陛下(浩宮さま)は、史学、中世の交通史・流通史という人文科学・社会科学に近い分野を専攻しました。

今上天皇 徳仁天皇(浩宮さま)の大学時代

徳仁天皇陛下(当時 浩宮さま)は、学習院大学時代、音楽部に所属し、ヴィオラを担当しました。

徳仁天皇陛下は、もともとは、ヴァイオリンを弾いていましたが、学習院大学入学を機にヴィオラに転じています。

徳仁天皇陛下は、友人知人や演奏家を招いた際などに私邸でヴィオラを演奏するほか、学習院OB演奏会のオーケストラなどで演奏しています。

徳仁天皇陛下(浩宮さま)は、当時、歌手・柏原芳恵さんのファンであり、カラオケで柏原芳恵さんの曲「ハロー・グッバイ」を歌うこともあったそうです。

1983年、オックスフォード大学留学直前の記者会見で、23歳の徳仁天皇陛下(浩宮さま)は、“好きな歌手は柏原芳恵さん。『春なのに』がいいですね。”と発言しています。

皇太子になる以前、1986年10月19日、新宿の『東京厚生年金会館』で行われた柏原芳恵さんのコンサートに行ったことが話題となりました。

柏原芳恵さんは、その時、自身の『レコード』と『写真集』をプレゼントし、徳仁天皇陛下は、柏原芳恵さんに「プリンセスサヤコ」というバラの花を贈りました。

今上天皇 徳仁天皇(浩宮さま)の出身高校はどこ?

徳仁天皇秋篠宮文仁親王殿下(礼宮様)の出身高校中学校 学習院高等科中等科

徳仁天皇陛下(当時 浩宮さま)の出身高校は、『学習院高等科』です。

徳仁天皇陛下は、1975年4月7日に入学し、1978年3月に卒業しています。

所在地〒171-0031 東京都豊島区目白一丁目5番1号
最寄駅JR『目白駅』から徒歩3分
東京メトロ副都心線『雑司が谷駅』から徒歩7分

今上天皇 徳仁天皇(浩宮さま)の高校時代

学習院高等科の徳仁天皇陛下 浩宮 帝王学

徳仁天皇陛下(当時 浩宮さま)は、学習院高等科時代、学校の授業の他に、「『将来の天皇』としての素養を身につけさせる」という目的の下、

「歴代天皇の御事跡」『古事記』『日本書紀』といった皇室史に関わる日本神話『万葉集』『平家物語』など日本の古典文学から比較神話学、文化史、文化人類学、時事問題などを幅広く学びました。

徳仁天皇陛下浩宮 学習院高等科 地理研究会 研修旅行

徳仁天皇陛下は、高等科時代、『地理研究会』に所属ししていました。

『地理研究会』の部員たちと、能登や長野などに研修旅行にも行かれ、一緒の宿に泊まられました。

今上天皇 徳仁天皇(浩宮さま)の出身中学はどこ?

徳仁天皇秋篠宮文仁親王殿下(礼宮様)の出身高校中学校 学習院高等科中等科

徳仁天皇陛下(当時 浩宮さま)の出身中学は、『学習院中等科』です。

徳仁天皇陛下は、1972年4月8日に入学し、1975年3月に卒業しています。

所在地〒171-0031 東京都豊島区目白一丁目5番1号
最寄駅JR『目白駅』から徒歩3分
東京メトロ副都心線『雑司が谷駅』から徒歩7分

今上天皇 徳仁天皇(浩宮さま)の中学校時代

1974年、中等科3年の夏休みに、徳仁天皇陛下(当時 浩宮さま)は、オーストラリア単身2週間ホームステイされ、
初の海外経験となりました。

メルボルンの民家にホームステイされて、ビーチライフスポーツを楽しまれたた他、各地を訪問され、エアーズロックにも登頂されました。

徳仁天皇陛下(浩宮さま)は、その当時から既にご自分で英語で交流しているようですね。

中等科、高等科の頃の徳仁天皇陛下(浩宮さま)は、“じいと呼ばれていました。

学校のバレーボールコートの近くにあった立派な植木と盆栽を通りかかった際に、徳仁天皇陛下(浩宮さま)が、「なかなかいい枝ぶりですね」言った時に、同級生が、「お年寄りの趣味ですね。これからは、“じい”とお呼びしましょう」言い、それ以来、“じい”と呼ばれていました。

また、徳仁天皇陛下(浩宮さま)は、中学校卒業時の謝恩会で、ニックネーム「じぃ」にちなんだ「G線上のアリア」を卒業記念として演奏したそうです。

今上天皇 徳仁天皇(浩宮さま)の出身小学校はどこ?

徳仁天皇紀子さま秋篠宮文仁親王殿下(礼宮)の小学校 学習院初等科

徳仁天皇陛下(当時 浩宮さま)の出身小学校は、『学習院初等科』です。

徳仁天皇陛下は、1966年4月に入学し、1972年3月に卒業しています。

所在地〒160-0011 東京都新宿区若葉一丁目23番地1
最寄駅迎賓館および赤坂御所に隣接する
JR東日本と東京メトロ『四ツ谷駅』から徒歩7分

現在の本館は、明仁親王が入学する際に建設されたもので、戦争から身を守るための地下室もあり、またその頃では珍しいコンクリート製でもあります。

学習院初等科は、日本で初めて使用した小学校でもあります。

今上天皇 徳仁天皇(浩宮さま)の小学校時代

徳仁天皇陛下(当時 浩宮さま)の9歳の頃の乗馬の様子がありました。

9歳で、すでにしっかりと乗りこなせていますね。

徳仁天皇陛下(浩宮さま)の10歳の時に描かれた絵です。

なかなか上手に描かれていますね。

徳仁天皇陛下は、学習院初等科時代、4年生の時に、稲田悦子さんの指導でフィギュアスケートを始めました。

稲田悦子(いなだ えつこ)さんは、戦前、戦後合わせて全日本選手権7回優勝し、オリンピックにも出場した日本の女子フィギュアスケートの先駆者です。

徳仁天皇陛下(浩宮さま)は、小学生の頃、“読売ジャイアンツ”のファンでした。

“読売ジャイアンツ”のユニフォームを着て野球をしていたこともありました。

特に、長嶋茂雄や末次利光のファンで1971年の日本シリーズ第4戦を観戦し、末次利光が、満塁本塁打を放った時は、とても喜んだそうです。

徳仁天皇陛下(浩宮さま)は、初等科5年生の頃には、『剣道部』にも所属し練習に励みました。

今上天皇 徳仁天皇(浩宮さま)の出身幼稚園はどこ?

学習院幼稚園

徳仁天皇陛下(当時 浩宮さま)の出身幼稚園は、『学習院幼稚園』です。

徳仁天皇陛下(浩宮さま)は、1964年4月に入園し、1966年3月に卒園しています。

所在地〒171-8588 東京都豊島区目白1-5-1
最寄駅JR山手線『目白駅』徒歩5分
東京メトロ副都心線『雑司が谷駅』徒歩7分

今上天皇 徳仁天皇(浩宮さま)の幼稚園時代

徳仁天皇陛下(浩宮さま)学習院幼稚園時代 着袴の儀

1964年、学習院幼稚園に入園した年の11月1日に、『着袴(ちゃっこ)の儀』を行いました。

『着袴の儀』は、5歳になった男の子が、初めて正装である袴を着るという儀式で、立派な少年として社会の仲間入りを果たし、将来の成功を祈る儀式です。

徳仁天皇陛下(浩宮さま)学習院幼稚園時代 自転車に乗る様子

徳仁天皇陛下(当時 浩宮さま)は、学習院幼稚園時代、自転車をマスターする時にも、倒れて涙を見せて、自分の力で立ち上がり自転車を起こしていたそうです。

4歳の時、「なぜ自分には苗字がないのか」と寂しそうに尋ねた。

また、徳仁天皇陛下(浩宮さま)は、幼稚園の頃から、バイオリンを習い始めました。

今上天皇 徳仁天皇(浩宮さま)の生い立ち

徳仁天皇陛下浩宮今上天皇誕生

徳仁天皇陛下(浩宮さま)は、1960年(昭和35年)2月23日16時15分、(当時)皇太子明仁親王と美智子皇太子妃の第一皇男子として、東京都千代田区千代田の皇居・宮内庁病院にて誕生しました。

身長47センチメートル、体重2,540グラムでした。

旧皇族や旧華族階級ではなく一般家庭出身の母親である皇太子妃美智子さまの意向に沿って、懐妊に際しては『母子手帳』が発行され、皇居宮殿内の御産殿での出産ではなく、一般家庭と同様に病院での出産となりました。

それまでの皇室の慣例によらない、戦後初の将来の天皇の誕生として、広く国民に注目されました。

1960年2月29日、『命名の儀』において、祖父・昭和天皇によって、御名「徳仁(なるひと)」称号「浩宮(ひろのみや)」と命名されました。

「浩宮(ひろのみや)」の称号は、四書五経のうちの『中庸』第32章にある「浩々たる天」「徳仁(なるひと)」の名も同様に「聡明聖知にして天徳に達する者」を典拠としています。

それまでの傳育(ふいく)官制度を事実上廃止し、両親である皇太子と皇太子妃による育児・子育ても、国民の関心の的となりました。

ただし、東宮侍従濱尾実氏が、徳仁天皇陛下が1歳3か月の時から初等科5年生まで専任の養育係に準ずる存在として養育および教育として従事しました。

徳仁親王は濱尾氏を「オーちゃん」と呼び、濱尾家の子ども達とも親しく遊んでいたそうです。

徳仁親王陛下(浩宮さま)が生後7か月の頃、皇太子妃美智子さまが、徳仁親王陛下から離れて14日間の公務訪米の際、

皇太子妃美智子さまが、世話係へ書き置いた育児メモ「ナルちゃん憲法」は、子供を預けて勤労する一般家庭の母親たちの育児指針としても共感を呼んびました。

徳仁親王陛下が、2歳だった頃、なかなか洋服のボタンが留められなかった時も、陛下は、何事にも非常に粘り強く頑張る性格で丁寧にやりとげていたそうです。

今上天皇 徳仁天皇(浩宮さま)の経歴

徳仁天皇陛下浩宮今上天皇即位

2022年9月17日-20日 イギリスの女王エリザベス2世の国葬に参列(即位後初の外国訪問として雅子さまとイギリスを訪問)

2019年(平成31年)4月30日、父帝の譲位によって、2019年(令和元年)5月1日午前0時に皇位を継承し、59歳第126代天皇に即位

2013年3月6日 米国ニューヨークの国際連合本部で開催された『水と災害に関する特別会合』において英語で基調講演を行う

2007年11月1日 国連『水と衛生に関する諮問委員会』名誉総裁に就任(日本の皇族として国連などの常設の国際機関の役職に初就任となった)

(2001年12月1日 成婚8年後、第一皇女子の愛子内親王が誕生)

1993年6月9日 『結婚の儀』外務省キャリア官僚だった雅子さま(当時 小和田雅子さん)と結婚
徳仁天皇陛下は、雅子さまに一目ぼれをし、ご自分の意思で雅子さまを選び、何度断られても、周囲に反対されても、その想いを貫かれました。

徳仁天皇陛下浩宮今上天皇即位ご成婚

1993年4月12日 『納采の儀』(東京都目黒区南・小和田邸にて)

1992年4月~ 学習院大学史料館客員研究員の委嘱を受ける
学習院女子大学国際文化交流学部の授業で、「北米文化の源流・イギリスの社会と文化」「オックスフォードにおける学生生活」について講義を行った。

1991年9月 イギリスの『ケンブリッジ大学』から『名誉法学博士号』を授与される

1991年2月23日(満31歳の誕生日)『立太子の礼』(皇太子の印とされる「壺切御剣」を父帝から親授される)

徳仁天皇陛下浩宮今上天皇 立太子の礼

1989年1月7日(28歳) 皇太子となる
祖父・昭和天皇の崩御により父・皇太子明仁親王が第125代天皇に即位。これに伴い、皇位継承順位第1位となった。それまで両親および弟妹の家族と同居していたがこれを機に別居し、独立した。

1986年、イギリス留学から帰国した翌年の10月18日スペイン王女エレナ・デ・ボルボン・イ・デ・グレシアがた来日した際、東京・元赤坂の東宮御所(当時)で開かれた歓迎パーティーで外務公務員I種試験に合格して間もない雅子さま(当時 小和田雅子さん)と出会う

今上天皇 徳仁天皇(浩宮さま)の学歴大学高校中学は?生立ち経歴は?まとめ

今上天皇である徳仁天皇陛下(浩宮さま)の学歴 大学高校中学はどこ?生立ちや経歴は?などについてご紹介しました。

徳仁天皇陛下(浩宮さま)は、幼稚園から大学院まで、皇族の方々のための学校である『学習院』に通われているんですね。

徳仁天皇陛下(浩宮さま)が、唯一『学習院』以外に通われた学校は、大学院在学中のイギリス・『オックスフォード大学』留学だけなのですね。

幼いころから、天皇になるという自分の立場を理解し受け入れ、そのための勉学に励まれた徳仁天皇陛下には、頭が下がる思いです。

今上天皇 徳仁天皇(浩宮さま)のプロフィール

今上天皇 徳仁天皇陛下の学歴大学高校中学は?生立ち経歴は?

日本の第126代天皇(在位: 2019年〈令和元年〉5月1日 – )
生年月日: 1960年(昭和35年)2月23日16時15分
出生地: 東京都千代田区千代田 皇居・宮内庁病院
諱: 仁(なるひと) 称号: 浩宮(ひろのみや)
元服: 1980年(昭和55年)2月23日
父親: 明仁(第125代天皇・上皇) 母親: 美智子(上皇后)
皇后: 雅子(旧姓名:小和田 雅子)1993年(平成5年)6月9日 結婚
子女: 愛子内親王

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