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大谷三穂【1佐】の家族は?再婚で子供アリ?事故起こしてた?

大谷三穂1等海佐 大谷三穂
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大谷三穂1等海佐が、2019年12月2日、京都府舞鶴市の海上自衛隊舞鶴基地で、イージス艦の初めての女性艦長として、「みょうこう」艦長に着任しました。

https://twitter.com/asahicom/status/1201466037746700289

今回は、女性艦長として、イージス艦「みょうこう」艦長に着任した大谷三穂さんの出身高校や大学、再婚で子供がいる?事故の回数は?などにつてまとめてみました。

大谷三穂【1佐】のプロフィール

氏 名: 大谷三穂(おおたに みほ)
生年月日: 1971年5月28日(48歳)
出身地: 大阪府吹田市
所属組織: 海上自衛隊
軍 歴: 1996年(平成8年) ~
最終階級: 1等海佐
防衛大学校女子第1期生(第40期)

大谷三穂【1佐】(海上)自衛隊へのキッカケは?

大谷三穂さんは、大学1年生の時に、湾岸戦争のニュースを見て「愛国心を覚え」ました。

“こんな生ぬるい生活していていいのか、と思いました。親のスネをかじって…。なんだか、恥ずかしくなったんです。”

その直後、新聞「防衛大学校が女子に門戸開放」という記事を見つけ、防衛大学校への進学を決意しました。

ご両親は、大谷三穂さんが『防衛大学校』に進学し、自衛隊に入隊することに対し、“女の行くところじゃない” と反対したのですが、

大谷三穂さんが「受験だけでも」と説得し、『防衛大学校』を受験したところ、
“合格”してしまった‼のです。

1992年(平成4年)4月 『防衛大学校』入学

「国の役に立ちたい!」、その一心で、『防衛大学校』に入学したわけですが、大谷三穂さんですが、そこからは、 それまでの自由とは真逆の息もつかせぬ過酷な生活が始まりました。

「やめたい」と何度も思ったが、親に「どうせ、すぐ辞めるだろう」と思われていることが分かっていたため、後戻りできないと、頑張ったそうです。

大谷三穂【1佐】海上自衛隊での経歴は?

1996年 『防衛大学校』女性一期生として卒業

最初はパイロットを希望していたが、海上自衛隊に配属される。
『防衛大学校』卒業後の最初の勤務は、練習艦「なつぐも」

その後、『防衛大学校』の指導教官や海上幕僚監部などの勤務を経て、

2011年4月 練習艦「あさぎり」副長に就任

2012年3月 護衛艦「あさぎり」女性初の護衛艦副長

2013年3月 練習艦「しまゆき」艦長に就任
東良子と同時に海上自衛隊女性初の練習艦艦長となりました。

2016年2月 護衛艦「やまぎり」艦長に就任 女性初の護衛艦艦長となった。

2017年7月 1等海佐昇任

2018年3月 海幕厚生課厚生班長

2019年12月2日 護衛艦「みょうこう」艦長に着任
女性初のイージス艦艦長となった。

1等海佐となり、女性初のイージス艦艦長となった大谷三穂さんですが、

“まさに、「国の役に立つ」仕事をこなす今、防大を目指したころの目標は達成していると言えるが、まだまだ、これからやることがあるという。”

また、

“後輩たちに道を作りたいんです”

とも語っています。

大谷三穂【1佐】の中学高校大学は?

大谷三穂【1佐】の出身中学高校は?

大谷三穂さんの出身高校は、 地元・大阪府吹田市にある大阪府立『千里高校』です。

『千里高校』 は、「時代を先駆けるパイロット校」として、発展してきている高校で、偏差値も高い進学校です。


大谷三穂さんの出身中学校は、確認できていませんが、 地元・大阪府吹田市 にある公立の中学校に通われていたと考えるのが妥当でしょう。


ちなみに、大谷三穂さんは、小学校では、ミニバスケット中学校では、ソフトボールをやっていたスポーツ大好き少女だったそうです。

大谷三穂【1佐】の出身大学は?

高校に進学後、 大谷三穂さんは、 日本史や考古学に興味を持ち始め、『千里高校』卒業後、京都『竜谷大学(りゅうこくだいがく)』文学部に進んでいます。

大学に進学した当時は、考古学者を目指していたそうです。

『竜谷大学』時代、大谷三穂さんは、1人暮らしをしていたのですが、生活費は全て親からもらっていました。

そんな大学1年の冬、大谷三穂さんが、テレビで『湾岸戦争』のニュースを 見て、戦争で苦しんでいる人達がいるのに、自分が何の不自由もなくただ楽しく暮らしていることが恥ずかしくなったそうです。

“甘やかされている自分がすごく恥ずかしくなって”

その直後、新聞で「防衛大学校が女子に門戸開放」という記事を見たことがキッカケで、防衛大学校への進学を決意しました。

ご両親の“女の行くところじゃない”との反対にもめげず、大谷三穂さんは、「受験だけでも」と説得し、『防衛大学校』を受験したところ、 “合格”してしまいました。

1992年(平成4年)4月 『防衛大学校』入学

大谷三穂【1佐】再婚で子供もいる?結婚相手は?

大谷三穂さんは、1等海佐にまで昇任し、2019年12月2日には、護衛艦「みょうこう」艦長に着任し、女性初のイージス艦艦長なった輝かしい職歴のを持っています。

結婚はどうしたのかな?子供は持てたのか?などと考えてしまいますよね。

しかし、大谷三穂さんは、プライベートも充実していた?ようで、結婚も、出産もし、子供にも恵まれています。

2001年3月 自衛官と結婚

(2年後に離婚)

2001年6月 練習艦『あきぐも』航海長

2002年12月 『防衛大学校』教官に就任

まもなく、妊娠

“今は良い、、、、だが、再び艦に乗る日が来たらどうすべきか、、、”

2003年 長女を出産

2003年 離婚

大谷三穂さんは、出産後7ヶ月『防衛大学校』の教官に復帰し、子供(娘)を保育園に預けて教鞭をとりました。

2005年 訓練支援艦『くろべ』船務長
この時、大谷三穂さんは、2歳の子供(娘)を両親に預け、乗艦

その後、大谷三穂さんは、自衛官2度目の結婚をしています。

と言うように、大谷三穂さんは、2回職場結婚をしています。

と言うか、自衛隊以外の男性と接する機会も時間のなさそうですね。

そう考えると、あくまでも推測ですが、結婚相手は海上自衛隊の中の方となりそうです。

大谷三穂さんは、結婚、出産、離婚、職場復帰そして再婚と人生も荒波をものともせずに、乗り越えてもいます。

また、大谷三穂さんは、航海に出れば数カ月も帰れず連絡も取れないだけに、結婚や育児がいかに困難かを、心底から知っている女性でもあります。

“娘には世間一般の母親らしいことはできなかった。”と語っている大谷三穂さんですが、現在は、15、16歳になるであろう娘さんが、 “ママは、艦長”と一番応援してくれているそうです。

娘さんとしても、“自慢のママ”ですね。

そんな、大谷三穂さんは、 “今後は、後に続く女性自衛官たちの配置を増やし、
憂いなく任務に就ける環境整備などが課題”
と、さらなる目標を掲げています。

大谷三穂【1佐】事故を起こしていた!

大谷三穂さんについて調べていると、「事故」と出てきます。

いろいろと調べてみましたが、大谷三穂さんが実際に事故を起こしたという
記録は確認できませんでした。

おそらく、大谷三穂さんが、イージス艦の初めての女性艦長として、「みょうこう」艦長に着任したことで、大谷三穂さんが、何か事故でも起こしていないかと、大谷三穂さんの事故について調べたのでしょう。

事故を起こしてもいないのに、“大谷三穂 事故”と出てきてしまうのは、
大谷三穂さんからしたら、全くもって“失礼”な話ですね。

大谷三穂【1佐】の家族は?再婚で子供アリ?事故起こしてた?まとめ

2019年12月2日、イージス艦の初めての女性艦長として、「みょうこう」艦長に着任した1等海佐・大谷三穂の出身高校や大学、再婚で子供がいる?事故の回数は?などについてまとめてみました。

大学1年生までは、普通の女子大生を満喫していた大谷三穂さんですが、『防衛大学校』へ入学し、その後、自衛隊には入ったことで、全く違った人生を歩ことになってしまいましたが、そのきっかけは、 湾岸戦争にあったんですね。

しかし、最も厳しいとされている自衛隊で、大勢の男性達を率いる艦長を任され、女性としても、結婚や出産してなおも艦長と復帰してしまうところが、 あっぱれです。

大谷三穂さん、素晴らし女性ですね。

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