演歌歌手・真田ナオキさんの学歴 出身高校中学、大学はどこ?芸能界へのキッカケや経歴などについてご紹介します。
『恋する確率100% ノックアウトボイス』というキャッチコピーでインパクト抜群の歌声を持つ真田ナオキさん。
抱いていた夢を諦め、納得できないを想いを乗り越えてきた苦労が、真田ナオキさんの歌声に込められているのでしょうね。
“苦しい時、うれしい時にそばにある曲がヒット曲であり、思い出の曲になっていく。
曲を聴くとにおいが感じられるような、思い出の一節になれるような、そんな曲を歌う寄り添える歌手になりたいですね。人を支えられるような歌手になっていきたいですね。”と抱負を語っています。
真田ナオキの出身大学は?
真田ナオキさんは、大学には進学していません。
真田ナオキさんは、19歳の時、家族から
大学への進学ではなく、歌手の道を強く勧められましたが、頑なにそれを拒みました。
しかし、2011年3月、22歳だった2011年の東日本大震災の際に、多くの歌手の方々が被災地訪問を訪れ、歌で被災した人々を励ましている様子を見て、心を動かされ、歌手への道を決断しています。
そして、テレビでまだデビュー前の臼澤みさきさんの歌声を聴いて、歌の力を実感したそうです。
それからは、会社を退職して、実家が経営していたカラオケ店で働きながら、1日6時間も歌の練習をしたそうです。
そして、知人を通して、歌手・吉幾三さんと出会い、食事をした際に歌を聞いてもらい、吉幾三に師事することになりました。
2022年9月2日
子供の頃から大ファンだったヤクルトスワローズの東京の神宮球場で行われたプロ野球、ヤクルト―中日戦で初の始球式を務め、経験者らしい美しいフォームで見事な投球を披露しました。
真田ナオキさんは、始球式後に、
「ヤクルトは、大好きな球団で人生の大半を占めると言ってもいいくらい、応援している球団です。レコード大賞で最優秀新人賞を頂いたとき以上に、マウンドで震えが止まりませんでした」
と大興奮してコメントしています。
その前年2021年3月、真田ナオキさんは、東京ヤクルトスワローズのマスコットつば九郎とバッティング対決を行い、自身の新曲「本気(マジ)で惚れた」のヒットと、スワローズの優勝を祈願し、ともに歌と野球で日本一になることを誓いあっていたこともあり、
「20年ぶりの日本一おめでとうございます!そして、たくさんの感動をありがとうございました!2021年のシーズン前、大好きなつば九郎とバッティング対決を行った年にスワローズが日本一になり、本当に忘れられないシーズンになりました!」と、喜びのコメントもしています。
真田ナオキの出身高校は?
真田ナオキさんは、中学校卒業後は高校に進学していません。
真田ナオキさんは、中学生の頃に野球という夢を諦めなければならなくなり、目標を失ったためか、中学校にもあまり行かなくなり、その結果、真田ナオキさんは、高校にも進学しなかったようです。
真田ナオキの高校時代
真田ナオキさんは、中学校を卒業すると、約2年弱ほど広島県で一人暮らしをしながら建築現場で働いたり、バーテンダーなどをして暮らしていました。
真田ナオキさんは、特に広島と決めていたわけではなく、ぶらりと一人で旅をしていて、たどり着いたのが広島だったそうです。
この時のことについて、真田ナオキさんは、インタビューで次のに語っています。
“ひとりになった方が、男としても大きくなれるかなっていうのもあって…。
でも、ホントは、遊びのつもりで旅行で広島に行ったんですけど、遊びすぎて使えるお金がなくなってしまって、それで住み込みで働かせてくださいって、置き場みたいなところを探して頼んでまわったんです。”
また、その頃、真田ナオキさんは、暴走族の総長も務めていましたが、生まれたばかりの甥っ子を見た時に、「ちゃんとした叔父になりたい」と悔い改め、暴走族をやめています。
真田ナオキの出身中学校は?
真田ナオキさんの出身中学校は、地元・埼玉県さいたま市にある公立校『さいたま市立大谷場中学校』です。
所在地 | 埼玉県さいたま市南区大谷場2-13-54 |
最寄駅 | 南浦和駅東口から徒歩約12分 浦和駅東口から徒歩約23分 武蔵浦和駅東口から徒歩約35分 |
真田ナオキの中学校時代
真田ナオキさんは、中学時代、『野球部』に在籍していました。
しかし、真田ナオキさんは、小学5年の頃、日本代表に選ばれた直後に靭帯を傷めてしまい中学生頃には遠投もなかなかできないくらいになってしまいました。。
真田ナオキさんは、“プロ野球選手になる”という夢を絶たれて、自暴自棄になり、学校にもほとんど行かなくなってしまったそうです。
真田ナオキさんは、当時の様子を次の様に語っています。
“僕はあの頃は、プロ野球選手になることしか考えていなかったですね。思い込んだら一直線になってしまうので。”
真田ナオキの出身小学校は?
真田ナオキさんの出身小学校は、地元さいたま市内の公立校のようですが校名などは不明です。
真田ナオキの小学校時代
真田ナオキさんは、小学校1年から野球を始め、中学生まで続けていました。
真田ナオキさんは、小学1年生の時に、家族の知り合いの少年野球団の監督が家に来た時に、「野球やってくれないか」みたいな感じで誘われて野球を始めることになったそうです。
真田ナオキさんは、インタビューで当時の様子を次の様に語っています。
“小学校4年生くらいまで、野球に行っているのに砂遊びばかりやっていたんです。でも5年生くらいから、エースだった同級生と仲良くなって、だんだん真面目にやるようになりました。”
“僕はセンターでした。最初にポジションを伝えられたとき、野球を全然知らなくて、外野だから球拾いだと思ったんです。ダイヤモンドの中の人たち(内野手)がメインだと思ってて、なんで俺は球拾いなんだよって(笑)。”
真田ナオキさんは、小学5年生の時に、同級生だったエースと親しくなり、野球に真面目に取り組むようになりっていきました。
“うちの地元はリーグ制で、そんなに多くなくて。全部で8チームくらいなんです。5年生の時に、そのなかで年間最優秀選手賞をいただきました。そこからいろいろな選抜に選ばれるようになって。日本選抜にも選んでいただいて、親善試合とかに出てました。”
しかし、その後、真田ナオキさんは、5年生の頃、靱帯を痛めてしまい、思うように野球ができなくなってしまったそうです。
真田ナオキさんは、インタビューで当時の様子を次のように語っています。
“日本代表に選ばれた直後に靭帯を傷めてしまって。子どもだったので、そこまで大きなケガだと思わなかったんですよね。でも思ったよりも重傷で、中学時代は遠投もなかなかできないくらいになって、だましだましやっていたって感じです。”
“僕はあの頃は、プロ野球選手になることしか考えていなかったですね。思い込んだら一直線になってしまうので。”
“僕は人生で一番最初に挫折を味わえたことですね。優勝や選抜などの栄光を味わせてもらったのも野球、それを失って挫折したのも野球で。
僕の場合それがすごく早い時期だったので、そこからいろんな経験、景色が見られた。今考えるとよかったなと思います。
何かつらいことがあってもその時と比べて全然つらくないと考えられる。「なんとかなるさ」精神が培われましたね(笑)”
真田ナオキ 芸能界へのキッカケは?
真田ナオキさんは、野球を諦めたあと、ゴルフやボクシングをしたり、普通に働いていました。
19歳の時、家族から歌手の道に進むことを強く勧められたのですが、この時は、頑なに拒み続けていました。
しかし、その約2年後2011年3月に起きたの東日本大震災が真田ナオキさんの人生を変えることとなりました。
多くの歌手の方々が、被災地を訪問し、被災した人々を歌で励ましている様子に心を動かされ、歌手への道を決断することになります。
また、テレビでまだデビュー前の臼澤みさきさんの歌声を聴いて、歌の力を実感したそうです。
“あれがなかったら歌の道に進むことはなかったので、人生180度変わったなって感じです。
歌の道に行くんですが、なぜか「僕は(歌の)プロになるんだ」という根拠のない自信がありましたね。”
とコメントしています。
その後、真田ナオキさんは、民謡を習い始めたのですが、先生に「特徴なく細い声、音程もとれない――」「君は歌の才能がない」とはっきり言われてしまったそうです。
真田ナオキさんは、悩んだ末に「声に《色》をつけよう」と思い、喉をつぶすこと考えたそうです。
真田ナオキさんは、その時のことをインタビューで次の様に話しています。
“ひたすら海辺で叫び、唐辛子を食べ、日本酒でうがいをし……。歌の先生に怒られても続けました。僕、意外と頑固なので。(笑)”
そして、真田ナオキさんは、“とにかく人に聞いてもらえる声を作りたい”という思いで、喉をつぶし強い歌声にする為に、人気のない海辺で歌の練習をしました。
その後、2015年に吉幾三さんの前で歌う機会に恵まれ、「お前、面白い声してんなあ。弟子になれ!」と言われ、師事することになり、2016年4月、師匠・吉幾三さんが作詞・作曲した「れい子」(作詞・でデビューしています。
真田ナオキの経歴は?
2023年 シングル『酔えねぇよ!』
2022年 シングル『渋谷で…どう?』
第36回 日本ゴールドディスク大賞 ベスト・演歌 / 歌謡曲・ニュー・アーティスト
2021年 シングル『本気マジで惚れた』
2021年10月:日本作曲家協会音楽祭2021 奨励賞
TV競馬情報バラエティ番組『馬好王国〜UmazuKingdom〜』
(2021年1月10日 – 、フジテレビ)馬好王国演歌支部
2020年 シングル『恵比寿』
オリコン週間シングル演歌歌謡ランキング1位を獲得。
2020年12月:第62回日本レコード大賞 最優秀新人賞
2019年 TV『WOWOW PLUS MUSIC -深夜1時の音楽タイム-』
(2019年 テイチクへ移籍)
2018年 シングル『酔いのブルース』
2017年 シングル『別れの夜明け』
2016年 シングル『れい子』
TV『演歌男子。3 – 禁断の裏メニュー〜Doki Dokiトークを召し上がれ〜』出演
真田ナオキの学歴出身高校中学・大学は?経歴は?まとめ
演歌歌手・真田ナオキさんの学歴 出身高校中学・大学、芸能界へのキッカケについてご紹介しました。
真田ナオキさんは、東日本大震災の際に、被災した人々が励まされている様子を見て、歌の力を感じたことで歌手としての道を進むことを決意したのですね。
一度は抱いていた夢を諦め、納得できないを想いを乗り越えてきた苦労が、真田ナオキさんの歌声に込められているのでしょうね。
真田ナオキのプロフィール
生年月日: 1989年12月22日(33歳)
出身地: 埼玉県さいたま市 血液型: O型
職業:演歌歌手 活動期間: 2016年 –
レーベル: 夢レコード(2016年 – 2019年)、テイチクレコード(2019年 – )
事務所: テイクオフ
趣味: 野球、競走馬観覧
スポーツ: 空手初段(極真空手道連盟極真会館)、野球(日本選抜選出)