「パクチー」はタイ語、「コリアンダー」英語、「シャンツァイ」は中国語と言います。
同じ植物ですが、それぞれの国や言語で名前が全然違うんですね。
では、パクチーに和名(日本名)ってあるの?って思ってしまいますよね。
パクチーに和名・日本名?日本で食べられてた?
実は、和名(日本名)もあります。
日本でも「コスイ」胡荽、「コニシ」、「コエンドロ」など呼ばれていましたが、現在はほとんど使われていません。
鎖国前の時代にポルトガル語 (coentro) から入った古い言葉で「コスイ」胡荽、「コニシ」はコエンドロが用いられる以前の呼称です。
延喜式(えんぎしき)、和名抄などに平安時代の朝廷料理で生魚を食べる際に必ず用いる薬味として記載されています。
延喜式:
平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)で、三代格式の一つ。905年(延喜5年)、醍醐天皇の命により藤原時平らが編纂を始め、時平の死後は藤原忠平が編纂に当たりました。
『弘仁式』『貞観式』とその後の式を編集し、927年(延長5年)に完成。その後改訂を重ね、967年(康保4年)より施行されました。
醍醐天皇 平安時代の第60代天皇 臣籍の身分として生まれた唯一の天皇で、はじめ源 維城(みなもと の これざね)といった。のち父の即位とともに皇族に列し親王宣下ののちに敦仁(あつぎみ・あつひと[1])に改めた。 宇多天皇の第一皇子。 pic.twitter.com/j8oXrb0Gjg
— 藤原東子@従五位上🍇 (@fujiwaraason2) 2018年4月1日
【今日は何の日気に成る日(2月14日)】①
899(昌泰2)年、「菅原道真」公が右大臣、「藤原時平」公が左大臣に同時に就任しました(新暦3月29日)。此の後、両者の政策上の対立が激化します。藤原氏の強大な権勢を後ろ盾に昇進を重ねた時平公に対して、己の才覚だけで家格を上回る躍進を遂げた道真公は… pic.twitter.com/ubRoWzHojW
— 転生の明智光秀 (@n1582m06d02) 2018年2月14日
和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう):
平安時代中期に作られた辞書。承平年間(931年 – 938年)、勤子内親王の求めに応じて源順(みなもとのしたごう)が編纂しました。略称は和名抄(わみょうしょう)。
Q41.「和名類聚抄」とはどのような書物ですか?
A. 辞書です。勤子内親王の命で源順が930年代に編纂しました。テーマ別に漢語を並べて万葉仮名で和名を示し漢文で説明を加えています。百科事典に近い内容と、反切ではなく仮名で和訓を示した点で画期的です。国風文化の大きな成果の一つと言えます。 pic.twitter.com/dY877fVl2b— リスト先生の深夜ゼミ (@minors_bot) 2018年2月19日
調味料や香辛料があまりなかった時代のことを想像すると、魚の生臭さをとり、ちょっとパンチのきいた味にしてくれたのではないでしょうか。
誰でもが手に入れることができたものではない高価なものだったことは確かですね。
パクチーは、中華料理、タイ料理、インド料理、ベトナム料理、メキシコ料理、ポルトガル料理などに広く用いらていますが、香りの強いパクチーが日本料理のほのかな香りと相いれなかったのでしょうか、日本では香辛料として発達してこなかったようですね。
・賛否両論あるお料理だけど私は残さず食べられました。パクチー苦手な人は魚料理を選んではいけない
・お席はスタッフさんが決めるので自分では選べない
・端の方の席でもキャストは来てくれるし、むしろキャストを柱の影から眺めてニヤニヤしたい人にはオススメ pic.twitter.com/uRCpGlqbWv
— すみれ (@sumiresngk) 2018年2月3日
ですが、日本でも一か所だけ、パクチーが栽培されている場所があります!!
八重山列島の与那国島(沖縄県八重山郡与那国町)です。
同僚のお土産、与那国島のパクチー「クシティー」。
ツナと醤油で和えてみんなで食べました。元八重山支局長は懐かしがり、パクチー好きは大興奮。やっぱりパクチーはコミュニケーションを生むハーブ🌿 pic.twitter.com/quE9L2APMU— 玉城江梨子 (@eriko_tamaki) 2018年2月22日
タイ料理ではあくまでトッピングのパクチー( ¨̮ )
パクチーをたくさん食べたい時は経堂のパクチーハウスに行けばいいんだよ😋
冬の与那国島に行けばクシティ(パクチー)毎日たくさん食べれるよ😋😋
石垣島のリハロウで働けばパクチー好きのスタッフが作る賄いで頻繁に出てくるよ😋😋😋 pic.twitter.com/mp2yTFoIJD
— 【しゅとう】⚾️4/17 ヤフオク⚾️ (@shuttyshutty) 2017年4月8日
八重山列島の与那国島で、パクチーはクシティと呼ばれ、和え物等にして食べられています。
第二次世界大戦前に出稼ぎなどで台湾にわたった人が持ち帰ったとされ、島野菜として定着しています。
パクチーに和名・日本名?日本で食べられてた?まとめ
パクチーの和名(日本名)は、「コスイ」、「コニシ」、「コエンドロ」なんですね。
パクチーが、日本でも、しかも平安時代に食べられていたとは、驚きですね。
日本でも、八重山列島の与那国島でパクチーが栽培されている場所があるのは、嬉しいです。
パクチーの和名(日本名)について調べていただけなんだけど、なんかパクチー食べたくなってきました。
あの青々とした色が、いかにも健康に良さそうな感じがします。
平民にもパクチーが気軽に手に届く時代に生まれてよかった!!です。