PR

『柿の日(10月26日)』とは?意味や由来は?雑学・日本一は?

柿の日とは?由来は?柿の日
記事内に広告が含まれています。

 

夏の暑さが収まり、紅葉が進むにあたり、秋が深まりを感じます。

秋の代表できな果物の一つに、柿があります。

今回は、秋の代表的な果物・柿にちなんだ『柿の日』何月何日で、どうして、その日が『柿の日』になったのか、その意味と由来をご紹介します。

『柿』に関係するちょっとした雑学もご紹介します。

『柿の日』とは?

10月26日は、『柿の日』です。

この『柿の日』は、柿の販売促進を目的として、全国果樹研究連合会カキ部会によって制定されました。

ですが、なぜ10月26日が『柿の日』となったのでしょうか。これには、有名な俳句がきっかけとなっていました。

『柿の日』は正岡子規が由来?

 

10月26日『柿の日』となったのは、明治時代初期の俳人・正岡子規が、明治28年(1895年)、10月26日に詠んだ有名な俳句に由来しています。

『柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺』

(奈良県の法隆寺に立ち寄った後、茶店で一服して柿を食べると、途端に法隆寺の鐘が鳴り、その響きに秋を感じた。

しかし、当日が雨であったことや、当時の子規は病気を患っていたことなどから正岡子規は、当日、奈良の法隆寺にいたのではなく、床に臥しながら書いた句ではないかとも言われています。

柿の日 正岡子規

《正岡子規のプロフィール》
氏 名: 正岡 子規(まさおか しき)
本 名: 正岡常規(つねのり)
誕生名: 正岡処之助(ところのすけ)
生年月日: 1867年10月14日
出身地: 伊予国温泉郡藤原新町
死 没・ 1902年9月19日(34歳没)東京市下谷区上根岸
墓 地: 大龍寺(東京都北区田端)
最終学歴: 帝国大学国文科中退

日本の近代文学に多大な影響を及ぼした、明治時代を代表する文学者の一人でしたが、約7年間、結核による闘病の後、34歳で亡くなっています。

そして、この柿の句が書かれたの日である『10月26日』が、全国果樹研究連合会のカキ部会によって『柿の日』と定めされました。

『10月26日』の頃と言えば、様々な種類の柿が赤く熟す時期でもあります。

『柿の日』の雑学・正岡子規は柿が大好きだった?

 

10月26日が『柿の日』となった由来の俳句を詠んだ正岡子規は、柿が大好きっだったようでで、他にも柿の句を多く残しています。

『柿落ちて犬吠ゆる奈良の横町かな』

『渋柿や落ちて踏まるゝ石の上』

『渋柿や古寺多き奈良の町』

「我死にし後は」という前書と共に『柿喰ヒの俳句好みしと伝ふべし』(私が死んだら、柿食いの俳句好きと言ってほしい)

『柿の日』の雑学・甘柿は突然変異?偶然?

『柿』は、主に『渋柿』『甘柿』に大別されます。

現在、私たちが、普通に生の状態で食べている『柿』は、『甘柿』です。

『甘柿』は、『渋柿』が突然変異種と考えられており、未熟時は渋いが熟すに従い渋が抜け、甘みが強くなっていきます。

『甘柿』は、熟せば常に甘みを持つ『完全甘柿』と、種の有無・多少により成熟時に渋が残ることがある『不完全甘柿』に分類されます。

『不完全甘柿』は、渋が残ることがあることから、『渋柿』の一種に含める事もあります。

『柿の日』の雑学・柿が赤くなれば医者は青くなる?

 

『柿が赤くなれば医者は青くなる』という諺があります。

(柿が実をつけて赤くなる頃は、気候がよく、病人が減って、医者が困る)

柿には栄養が豊富に含まれているので、柿は健康に良いものではあるのですが、

「柿が赤くなれば医者は青くなる」という諺は、柿の実が赤く色づく頃は、気候がよく、栄養のある食べ物が豊富にるので、病人が減り医者が困るという意味です。

同じ意味で、「橙(だいだい)が赤くなれば」「柚子が黄色くなれば」「みかんが黄色くなれば」とも言われます。

昔、冷蔵庫の無かった頃は、夏の暑さで食べ物も傷みやすく、食中毒も多く、体長を崩したり、体力消耗を消耗することも多かったのでしょうね。

『柿の日』の雑学・柿の日本一はどこ?

 

柿の栽培面積が日本一多い県は、和歌山県、次いで福岡県、奈良県の順です。

都道府県別収穫量の日本一和歌山県で、市町村別収穫量の日本一は、奈良県五條市です。

柿は、沖縄県を除く日本の全都道府県で栽培・出荷がされていますが、甘柿は温暖な気候でないと甘く育たないため、産地は温暖な地方に限られて、北東北と北海道はカキノキの生育には寒冷すぎるため、渋柿がごく少数出荷されています。

『柿の日(10月26日)』とは?意味や由来は?雑学・日本一は?まとめ

秋の代表的な果物・柿にちなんだ『柿の日』が10月26日である意味と由来と『柿の日』にまつわる雑学をご紹介いたしました。

『柿の日』は、柿が大好きだった明治時代初期の俳人・正岡子規が、明治28年(1895年)、10月26日に、俳句『柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺』を詠んだことに由来していたんですね。

柿を食べながら、過ごしやすい秋を楽しみたいですね。

タイトルとURLをコピーしました