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矢部太郎(カラテカ)の学歴 出身大学高校中学は?経歴は?

矢部太郎(カラテカ)の学歴 出身大学高校中学は?経歴は?矢部太郎
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漫画家・お笑い芸人漫才師・俳優の矢部太郎さんの学歴 出身高校中学、大学はどこ?芸能界へのキッカケや経歴などについてご紹介します。

元々はお笑い芸人漫才師として活躍していた矢部太郎さん。漫画「大家さんと僕」で大ブレイクし、漫画家としても成功を収めてます!

矢部太郎のプロフィール

本 名:  矢部 太郎(やべ たろう)
愛 称: タロウちゃん
生年月日: 1977年6月30日
出身地: 東京都東村山市
血液型: AB型
身 長: 158cm
芸 風: 漫才・コント 『カラテカ』のボケ担当
事務所: 吉本興業
活動時期 1997年 –
配偶者:  未婚
親 族:  やべみつのり(実父)絵本作家
趣 味: 読書、音楽鑑賞、ファミコン
特 技: 絵画、空手

自宅では漢字検定などの勉強をして過ごすことが多い。

基本的にインドア派で、一人で過ごすことに慣れているため、新型コロナウイルスで行動が制限されても、生活にほとんど変化はなかった。

食事は非常に良く噛むため、食べ終わるまでに時間がかなりかかる。トンカツの衣をとって食べるほど、脂っこいものが苦手。

矢部太郎の学歴 出身大学はどこ?

矢部太郎 東京学芸大学国際教育学部1

矢部太郎さんは、1996年4月『東京学芸大学』『国際教育学部』に入学しましたが、2004年単位不足で除籍となり卒業には至っていません。

所在地東京都小金井市貫井北町4-1-1
最寄駅

矢部太郎の大学時代

矢部太郎さんは、プロにはなれないだろうと大学に進学しましたが、吉本の劇場オーディションに合格し、芸能界入りしています。

1997年11月、『東京学芸大学』2年生の時に、高校の同級生である入江慎也さんとお笑いコンビ『カラテカ』を結成

2001年にバラエティ番組『進ぬ!電波少年』に出演しブレイク

1999年 『進ぬ! 電波少年』語学系企画『電波少年的○○人を笑わしに行こう』に初めてレギュラー出演し、1年の間に、スワヒリ語、モンゴル語、韓国語、コイサンマン語4か国語を習得

TM NETWORKの『CASTLE IN THE CLOUDS(YABE VERSION)』は、日本テレビ開局50周年・吉本興業創業90周年プロジェクト「Laugh&Peace 笑いはニッポンを救う。」のキャンペーンソングであり、『進ぬ!電波少年』に出演していた矢部太郎さんの応援歌として作られました。

その後、矢部太郎さんは、大学に在籍しながらも、「ワクワクする気持ち」を優先し、バラエティ番組のほか、 俳優として舞台やドラマ、映画などにも出演し、お笑いや芸能界中心の生活へと傾いていくこととなります。

矢部太郎の学歴 出身高校はどこ?

矢部太郎の出身高校 東京都立保谷高等学校

矢部太郎さんの出身高校は、東京都立『保谷(ほうや)高等学校』です。

矢部太郎さんのは、1992年4月に入学し、1995年3月に卒業しています。

所在地〒202-0005 東京都西東京市住吉町5-8-23
最寄駅西武池袋線『保谷駅』 徒歩15分

『保谷高校』は、2009年から東京都の重点指定校に指定されており、土曜日や放課後、長期休業中には多くの補習が開かれています。

総合クラスの他に国公立大学や難関私立大学を目指す「応用力養成クラス」が設置されています。

東京学芸大学等との高大提携を実施していて、聴講により高校の単位として取得することができるそうです。

矢部太郎の高校時代

矢部太郎さんは、高校生の時、同級生だった入江慎也さんに誘われ、断りきれずコンビを組み、芸人を目指すこととなったそうです。

矢部太郎さんは、インタビューで当時の経緯を次のように語っています。

さすがにプロになるのは無理かなと思って、矢部太郎さんは、大学に進学しています。

矢部太郎の出身中学校はどこ?

矢部太郎さんの出身中学校は、東村山市立『東村山第四中学校』です。

矢部太郎さんのは、1989年4月に入学し、1992年3月に卒業しています。

所在地〒189-0022 東京都東村山市野口町3-24-1
最寄駅西武新宿線・西武国分寺線『東村山駅』西口より 徒歩15~20分

矢部太郎 芸能界へのキッカケは?

矢部太郎さんは、高校生の時に、同級生として、後にお笑いコンビ『カラテカ』相方となる入江慎也さんと出会い、断りきれずコンビを組むことに。

矢部太郎さんは、プロにはなれないだろうと思い、大学に進学しましたが、その後、吉本の劇場オーディションに合格し、芸能界入りした。

1997年11月、大学2年生の時に、高校の同級生である入江慎也さんとお笑いコンビ『カラテカ』を結成

1999年 大学4年生の時に、『進ぬ! 電波少年』の語学系企画『電波少年的○○人を笑わしに行こう』に初めてレギュラー出演することとなります。

1年の間に、スワヒリ語、モンゴル語、韓国語、コイサンマン語の4か国語を習得

2001年 バラエティ番組『進ぬ!電波少年』に出演しブレイクしていきました。

大学に進学しながらも、「ワクワクする気持ち」を優先していると、お矢部太郎さんの生活は、笑い中心となっていきました。

矢部太郎の経歴は?

2014年 大河ドラマ『光る君へ』乙丸 役で出演予定

2021年 連載漫画『楽屋のトナくん』を開始


2021年6月 漫画『ぼくのお父さん』を発売


2020年3月2日~6日 5夜連続でアニメ『大家さんと僕』を放送

2019年9月より 連続テレビ小説『スカーレット』の著名人レコメンドを連載
イラストを使ってドラマの見どころ紹介しました。

2018年10月 『名医の太鼓判!芸能人余命宣告SP 秋の健康診断』に出演

中性脂肪が46が、肥満指数のBMIも16・4で、標準値の22を下回り、医師団に「栄養がぜんぜん足りていない。運動もしていない」「栄養失調。余力がないから感染症になったときに戦う能力がない」などと指摘された。

2018年 コミックエッセイ『大家さんと僕』22回「手塚治虫文化賞 短編賞」を受賞

2018年8月23日 “大家さん”が他界したことを自身のTwitterを通じて明らかにし、その死を悼んだ

2017年 漫画『大家さんと僕』(単行本)を発売 21万部を超えるベストセラーとなった


2016年 雑誌『小説新潮』に『大家さんと僕』を連載を開始
新宿区の外れにある一軒家の2階で暮らすことになった矢部太郎さんと、その1階に住む大家のおばあさんとの交流を描く物語

2014年 『テレビで中国語』 生徒役

2007年3月 『アパッチナイトフジ』にて2度目の天気予報を行った

2007年3月 『はなまるマーケット』で気象予報士として第1歩を踏み出す

2007年、国家資格『気象予報士資格』(合格率が5%ほどの難関試験)を取得
変わり種のお天気キャスターとして知られた福井敏雄さん(2005年死去)のあとをつぎたい思いがあったようですね。

(2004年 『東京学芸大学国際教育学部』を単位不足で除籍となる)

2001年 バラエティ番組『進ぬ!電波少年』に出演しブレイク

TM NETWORKの『CASTLE IN THE CLOUDS(YABE VERSION)』は、日本テレビ開局50周年・吉本興業創業90周年プロジェクト「Laugh&Peace 笑いはニッポンを救う。」のキャンペーンソングであり、『進ぬ!電波少年』に出演していた矢部の応援歌として作られた。

1999年 『進ぬ! 電波少年』語学系企画『電波少年的○○人を笑わしに行こう』に初めてレギュラー出演
1年の間に、スワヒリ語、モンゴル語、韓国語、コイサンマン語4か国語を習得

1997年11月、入江慎也とお笑いコンビ『カラテカ』を結成

(1996年 『東京学芸大学』『国際教育学部』に入学)

矢部太郎の学歴出身大学高校中学は?経歴は?まとめ

漫画家・お笑い芸人漫才師・俳優の矢部太郎さんの学歴 出身高校中学、大学はどこ?芸能界へのキッカケや経歴などについてご紹介しました。

矢部太郎さんは、お笑いにのめり込み過ぎて、有名国立大学大学を御籍になっていたんですね。

しかし、バラエティー番組の企画で、1年間で4か国語を取得し、国家資格『気象予報士資格』し、中国語までマスターしているところには、自頭のお良さを感じますね。

その後は、漫画家としてブレイク!とにかく多才な方ですね。

これからも、どんな活躍をしてくれるのか、矢部太郎さんから目が離せませんね。

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