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村雨辰剛 庭師 彼女や結婚?生い立ちと日本に来た理由は?

村雨辰剛 庭師 彼女や結婚?生い立ちと日本に来た理由は? 村雨辰剛
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庭師・村雨辰剛さんの生い立ちや日本に来た理由、彼女や結婚について調べてみました。

抜群のスタイルと金髪のクールでイケメンで、完全に外国人な外見とは裏腹に、流暢な日本語を話すんですね。

庭師の村雨辰剛さんが、NHK「みんなで筋肉体操」に出演した際には、ムキムキな筋肉が話題になりました。

村雨辰剛 プロフィール


氏 名: 村雨辰剛(むらさめ たつまさ)
ヤコブ・セバスティアン・ビヨーク(Jakob Sebastian Björk)

生年月日: 1988年7月25日
出身地: スウェーデン(南部のエルケルユンガという非常に小さな街)
身 長: 182cm
スリーサイズ:B101・W78・H96

職 業: 造園技術
特 技: トライリンガル(日本語 スウェーデン語 英語)
趣 味: 筋トレ 肉体改造 盆栽
所属事務所:YMN タレントとして所属

22歳で来日し、2017年3月に庭師として独立
テレビ番組のZIP!やスッキリ!!に出演

NHK「みんなで筋肉体操」に出演した際には、“人生で一番、楽しい仕事でした” “「笑いの絶えない現場でした。その雰囲気が視聴者の皆さんにも伝わったのかもしれません”とコメント

村雨辰剛 生い立ちは?

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テレビ番組のために探し出した、非常にやる気のない6歳ぐらいの時のクリスマスイブの一枚。 笑 #fbf #flashbackfriday

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先ずは、村雨辰剛さんの生い立ちから見ていきたいと思います。

村雨辰剛さんは、1988年7月、スウェーデンの南部のエルケルユンガという非常に小さな街で生まれ育ちました。

村雨辰剛さんのスウェーデンでの名前ヤコブ・セバスティアン・ビヨーク(Jakob Sebastian Björk)でした。

村雨辰剛さんが4歳の時に両親が離婚し、村雨辰剛さんは母親との生活を送りますが、その後、村雨辰剛さんの母親は再婚し、村雨辰剛さんは義父と一緒に暮らすようになりましたが、実父にも変わらず会っていました。

実父も再婚したので、村雨辰剛さんには、異父・異母きょうだいが6人いるのですが、みんな仲良くやっているそうです。

義父は、空軍に勤務し、優しいけれど躾は厳しいという“オヤジ”で、村雨辰剛さんにとって憧れの対象でした。

村雨辰剛 筋肉体操のキッカケは?

村雨辰剛さんは、筋肉体操を始めたキッカケとして、憧れていた義父のように軍隊で働きたいとの気持ちも強かったので、身体を鍛えるようになったのが原点だと語っています。

高校生からトレーニングを開始していて、基本手的に、毎日ジムに通い1時間30分ほどジムに行ってトレーニングをしているそうです。

まずは軽いウォーミングをして、自分で考えたメニューをこなし、2~30分の有酸素運動をして終わり。

毎日鍛える部位を決めてそこに集中するのが、村雨辰剛さんのスタイルだそうです。

ちなみに、村雨さんが理想とする美しい筋肉の持ち主は、俳優のアーノルド・シュワルツェネッガーです。

村雨辰剛 来日理由 なぜ日本に?

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名産抹茶のポスターの撮影だったけど庭の手入れが気になってた・・😶 #日本 #着物 #撮影 #japan #kimono

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村雨辰剛さんは、語学と歴史が好きで、外国に興味を持っていて、スウェーデンとなるべく違う環境と文化の中で生活してみたいという気持ちがあったそうです。

また、村雨辰剛さんは、アジア史に興味を持ち、日本に注目するようになり、日本語を勉強し始めました。

日本は、島国で、その為にアジアの中でも独自の文化を構築していることに惹かれたそうです。

日本語の上達するにつれて、日本に住んでみたいという気持ちは、いつか日本で日本人として暮らしたいと言う目標になっていきました。

村雨辰剛さんは、16歳の時神奈川県でホームステイも経験し、『日本で働きたい』という気持ちがさらに強くなったそうです。

村雨辰剛さんは、高校卒業後、来日しています。

日本では、名古屋の外国語学校に就職が決まり、英語スウェーデン語を担当しました。同時に外国人事務所にスカウトされ、CM、PR、通訳や翻訳の仕事もこなしました。

村雨辰剛さん曰く、スウェーデン人と日本人は勤勉で、労働観も似ているそうです。

しかし、この頃は、まだ本当にやりたい仕事をできていなかったので、それが最大の悩みでした。

村雨辰剛 庭師になった理由と日本名の由来

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Today was my last day at the place where I have spent my last five years striving and struggling for a deeper understanding of Japanese Gardening. Although I know I have gained much from these years, I leave with more questions, curiosity and passion for this trade than I had when I came. From now on I will further hone my skills and start a new chapter of my life. These years have been physically and mentally tough but I am ever grateful towards my Oyakata; my master for teaching me everything he knows. ・・ 五年間の修業先、今日最後の日を迎えました。 これからも庭師として成長できるように努力をします。親方長い間お世話になり、今までありがとうございました! #死ぬまで修行 #不退転 #japan #japanesegarden #gardening

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村雨辰剛さんの夢は、「日本の徒弟制度で修行すること」でした。「徒弟制度の中で働けるのなら、それこそ和食の世界でも、宮大工でも何でもいい」と思っていたそうです。

村雨辰剛さんは、23歳の時、もっと日本古来の文化と関わった仕事がしたいと思っていたところ、造園業のアルバイト募集の広告を見つけ、応募しました。

そこの“親方”は、欧米で和風庭園の設計も担当し、英語も堪能な方で、共に喜んで勤務を始めたのですが、“弟子”の枠は、既に満杯だったので、そこでアルバイトとして経験したあと、愛知県西尾市にある「加藤造園」に本格的な弟子入りして、5年間修行をしました。村雨辰剛さんは、この「加藤造園」で“親方”に出逢います。

村雨辰剛さんが26歳の時に、念願の目標であった帰化許可がおり、日本国籍取得!!しました。名前も日本人の名前である村雨辰剛に解明しています。日本人になるのなら日本的な名前にしようと思ったそうです。

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Vintage

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相撲ではしこなを親方が付けるので、村雨辰剛さんも親方に名前を付けてもらい考えました。

責任が重いと断られてしまったのですが、親方の父親から「村雨退二郎という作家の名前が印象的だったから、村雨にしたらどうか」と勧められたそうです。

は、村雨辰剛さんの干支で、親方の名前の1文字です。親方のお父様から「名前負けしないような人生を送れ」と言われ、身の引き締まる思いが生じるたそうです。

日本在住スウェーデン人として日本に住むのではなく、スウェーデンの国籍を捨てて日本の国籍を取得し、日本人になっているところに、村雨辰剛さんの日本への想いが表れています。

“僕は日本で一生生きていくのであれば、日本の社会や政治にも興味を持って、そこに住んでいる者としての責任を果たすべきだと思うんです。そのためには日本人になる必要があった”と、村雨辰剛さんは、コメントしています。

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親方元気で何より。 The Master and the Apprentice. #Japanesegardening

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造園業で働けたこと、親方ができたことに感激し働いていたのですが、経験を積むにつれ、1つ不満に思うことが出来たと言います。

それは、「日本人が和風庭園を大切にしないこと」です。現在の日本で、最も多い造園業の仕事「日本庭園を潰し、西洋風の庭に変える」ことだったからだといいます。

「日本庭園の素晴らしさを知ってほしい。日本庭園を大切にしてほしい。」という想いからSNSを始めると、テレビ局の方々が興味を持ってくれて、出演依頼が来たそうです。

村雨辰剛さんが、喜んでTV番組に出演していると、芸能事務所から声をかけられ、タレント活動するようになったそうです。

村雨辰剛さんは、現在、都内の大手造園会社にも勤務し、現場の責任者をしていますが、タレント活動が、庭師の修行を妨げるものではなく、むしろ経験がプラスになると思っています。

村雨辰剛さんの知名度が増せば、日本庭園を大切にしてほしいという村雨辰剛さんはのメッセージに、もっと耳を傾けてもらえると考えています。

村雨辰剛さんは

“庭師の修行はストイックにやっていく。”
“逆にタレント活動では仕事を選ばないつもりだ。ただし「歌だけは勘弁してください」”

とコメントしています。

村雨辰剛 彼女はダレノガレ?結婚は?娘は?

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甲冑。 Wearing warring states replica armour. #甲冑 #織田家 #戦国時代 #armor #samurai #warringstates

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村雨辰剛さんのことについて調べていると、「ダレノガレ」と出てきます。

ダレノガレ明美さんが村雨辰剛さんの彼女⁉と思ってしまいそうですが、この場合、ダレノガレ明美さんのお兄さんのことを指しています。

なんと、ダレノガレ明美さんのお兄さん庭師なんです。

ダレノガレ明美さんのお兄さんは、福住龍司という名前で、横浜で造園会社を経営しています。福住龍司さんもかなりイケメンそうですね。福住龍司という名前もクールですね。

村雨辰剛さんが、自分のルックスを自覚したのは中学生の時だそうです。

村雨辰剛私さんは“スウェーデンの女性はストレートに気持ちを伝えるので、スウェーデンにいる時にかなりの回数、“告白”された”と語っています。(当然のことだと思います!!)

ただ、その時は、語学と歴史の勉強に夢中で、当時は異性への関心が皆無だったそうです。(告白した女性は、クールに断られてしまったのでしょうか??)

村雨辰剛ほどのイケメンで内面的にもステキな男性に、彼女がいないハズはないと思うのですが、彼女のについての情報や結婚相手についての情報が出回っていないようです。

村雨辰剛さんは、誠実な方なので、結婚していて娘さんがいる場合は、ツイッターやインスタグラムなどで報告してくれるのではないでしょうか。

村雨辰剛 庭師 彼女や結婚?生い立ちと日本に来た理由は?まとめ

こんなイケメンの庭師が来てくれるんだったら、特に庭の手入れが必要なくても、来てもらいた!!です。

でも、実際、村雨辰剛さんが自分の家の庭にいたら、、、なんて想像するだけで、ウキウキしてきます。

村雨辰剛さんに来てもらいたいが為に、自宅の庭を日本庭園にする人も増える⁉なんてことも起こりそうですね。

そういった意味でも、村雨辰剛さんは、すでに日本文化の継承に大いに貢献している!!と言えるのではないでしょうか。