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英国カミラ王妃の家族 父親母親の学歴?兄弟姉妹?

カミラ王妃の家族父親母親の学歴、兄弟姉妹は?イギリス王室
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英国のチャールズ国王の妻・カミラ王妃の父親母親とは?兄弟姉妹はいるのか?などについてご紹介します。

カミラ王妃は、結婚する前、どのような家族に囲まれて、どのような家庭環境で育ったのでしょうね。

カミラ王妃の父親、母親を始め、兄弟姉妹の学歴や職業などについてもまとめてみました。

英国カミラ王妃の父親とは?

カミラ王妃の父親・ブルース・ミドルトン・ホープ・シャンド(Bruce Middleton Hope Shand)

カミラ王妃の父親は、ブルース・ミドルトン・ホープ・シャンド(Bruce Middleton Hope Shand)です。(以後、略してブルース・シャンドと書かせて頂きます。)

カミラ王妃の父親・ブルース・シャンド(Bruce Shand)の先祖は、スコットランドからイングランドに移住し、ブルース・シャンドは、ロンドン中流階級の家庭に生まれました。

ブルース・シャンドは、英国陸軍将校を退役後実業家になっています。

生 誕 1917年1月22日、ロンドン(イングランド/イギリス)
2006年6月11日(89歳没)
ドーセット、ストーペイン(イングランド/イギリス)
職 業 軍人(1937–1947)、実業家
興 味 キツネ狩り、ポロ、読書

カミラ王妃は、子供の頃、父親・ブルース・シャンドに、よく本を読んでもらっていたようです。

カミラ王妃は、そんな父親の影響を受け、自分でも本をよく読むようになりました。

英国カミラ王妃の父親の学歴は? 

英国カミラ王妃の父親の出身大学は?

カミラ王妃の父親・ブルース・ミドルトン・ホープ・シャンド(Bruce Middleton Hope Shand)の出身大学、ロイヤル ミリタリー カレッジ、Royal Military College, Sandhurst

カミラ王妃の父親・ブルース・シャンド(Bruce Shand)の出身大学は、『ロイヤル ミリタリー カレッジ(Royal Military College, Sandhurst)』です。

ロイヤル ミリタリー カレッジ (RMC) は、バークシャーのブラックネル フォレスト区に位置しているサンドハーストにある王立軍士官学校で、イギリス軍の将校を訓練するためのイギリス陸軍士官学校です。

 所在地  in the Bracknell Forest borough in Berkshire, England
 所 属 British Army

日本で言う防衛大学にあたる大学ですね。

英国カミラ王妃の父親の出身高校は?

カミラ王妃の父親・ブルース・ミドルトン・ホープ・シャンド(Bruce Middleton Hope Shand)の出身高校、ラグビースクール Rugby School

カミラ王妃の父親・ブルース・シャンド(Bruce Shand)の出身高校は、『ラグビースクール(Rugby School)』です。

ラグビー スクールは、イングランドのウォリックシャー州ラグビーにある公立学校で、13 ~ 18 歳の生徒を対象とした独立寄宿学校です。

 所在地  Lawrence Sheriff Street Rugby, Warwickshire, CV22 5EH England
 TEL +44 1788 556216

この『ラグビースクール(Rugby School)』は、ラグビーフットボールの発祥の地で、スポーツのラグビーの名称は、この学校に由来しています。

英国カミラ王妃の父親の生い立ち

カミラ王妃の父親・ブルース・シャンド(Bruce Shand)の先祖は、スコットランドからイングランドに移住し、ブルース・シャンドは、ロンドン中流階級の家庭に生まれました。

ブルース・シャンドの両親は、彼が3歳の時に離婚していて、ブルース・シャンドの父親は、その後3回再婚しており、彼は、18歳になるまで父親に会っていません。

ブルース・シャンドの母親は、ゴルフコース設計者のハーバート・チャールズ・ティペット
(Herbert Charles Tippet)と再婚
しています。

1921年 14歳の時に、母親らと共に米国ニューヨーク(New York)州ロングアイランド(Long Island)のウェストベリー(Westbury)に渡米

1923年以降 16歳頃から、英国に戻り、祖父母の援助で英国で教育を受けました。

英国カミラ王妃の父親の経歴

1937年1月 少尉として第12ランサーズに配属され、「A」飛行隊の部隊長となる

1940年1月 中尉に昇進し、イギリス遠征軍の一員としてフランスに派遣される

1941年9月 北アフリカに派遣され、第7機甲師団に昇進

1942年1月 アフリカ軍団の反撃に直面した部隊の装甲車の撤退を担当し、2つ目のMCを授与される

1942年11月 マルサ マトルー(Marsa Matruh)への調査中に、車両が包囲され、破壊され、他の2人の乗組員が命を落とす中、ブルース・シャンドは負傷し捕らえられ、捕虜としてドイツに連れて行かれた。

アテネで治療を受けた後、ドイツ・北ヘッセンにあるスパンゲンベルク城の捕虜収容所に収容された

1945年1月 捕虜として収容されている間に、大尉の階級に昇進し、その後、解放されイギリスに帰還

1946年1月 妻となるロザリンド モード キュービットと結婚

1947年4月 名誉階級の少佐を残し軍を除隊 

戦後、彼はワイン商のパートナーとなり、余暇にはキツネ狩りなどをして余暇を楽しみました。


1956年~1975年 サウスダウン フォックス ハウンドのマスターを務める

1974年~1992年 サセックス州(Sussex)とイースト サセックス州(East Sussex)の副中尉を務める

その後、エリザベス女王の護衛としてボディガードを務めました。

カミラ王妃の父親・ブルース・シャンド(Bruce Shand)は、軍事関連書籍の評論家でもありました。

1990年 戦争回想録『Previous Engagements(以前の交戦)』出版

1993年 仲間の陸軍将校・ティム・ビショップの日記をまとめた回想録『One Young Soldier(1人の若い兵士)』の編集者を務めました。

英国カミラ王妃の母親とは?

カミラ王妃の母親は、ロザリンド・モード・シャンド(Rosalind Maud Shand)で、出生名は、ザ・ホン、ロザリンド・キュービット(The Hon. Rosalind Cubitt)です。

カミラ王妃の母親ロザリンド・キュービットは、3代アッシュコム男爵ローランド・キュービットの娘で、上流階級の家庭に生まれました。

カミラ王妃の母親の家族は、キュービット建設会社を設立した貴族で裕福でした。

カミラ王妃の母親・ロザリンド・キュービットは、慈善活動家で、結婚前は、養子縁組機関で働き1960 年代から 1970 年代にかけては、イースト サセックス州ノース チャイリーにある『チャイリー ヘリテージ財団』(障害のある幼い子供たちを支援する団体) でボランティアとして17年間働いていました。

2013年 カミラ王妃は、そこに新しい施設を開設しました。

英国カミラ王妃に兄弟姉妹はいる?

カミラ王妃は、3人きょうだいの長女で、2歳下の妹4歳下の弟がいます。

英国カミラ王妃の妹とは?

カミラ王妃の妹の名前は、アナベル・エリオット(Annabel Elliot)です。

カミラ王妃の妹・アナベル・エリオットは、ドーセットに拠点を置く会社『アナベル エリオット インテリア デザインとアンティーク』の創始者で、インテリア デザイナーで、アンティーク ディーラーです。

アナベル・エリオットは、イタリアのフィレンツェで美術を学びました。

アナベル・エリオットは、インテリア デザイナーとしてコーンウォールやウェールズ公爵領にある
義兄であるチャールズ国王の邸宅の改築、改装を手がけました。

1972年4月27日、23歳の時に、ドーセットの地主で空軍長官のウィリアム・エリオット卿 (Sir William Elliot)との息子であるサイモン エリオット(Simon Elliot)と結婚し、3人の子供に恵まれました。

その一人が、英国保守党の政治家ベン・エリオット(Ben Elliot)です。

カミラ王妃の妹・アナベル・は、養子縁組機関で働いていた母親のロザリンドの影響で、慈善団体を支援していました。

2005年~2015年 英国養子縁組協会 (BAAF) の後援者を務めました。

英国カミラ王妃の弟とは?

カミラ王妃の弟の名前は、マーク・ローランド・シャンド(Mark Roland Shand)です。

誕 生 1951年6月28日 ロンドン(イングランド/イギリス)
死 没 2014年4月23日(62歳) ニューヨーク(アメリカ)
職 業 トラベルライター、 自然保護論者

カミラ王妃の弟・マーク・シャンドは、旅行作家自然保護論者です。


特にゾウに関心を持ち4 冊の旅行本を出版し、BBCの自然保護論者として、彼の旅に関連するドキュメンタリーに出演しましたが、その後、残念なことに、不慮の事故で死去されています。

英国カミラ王妃の弟の出身高校は?

カミラ王妃の弟マーク・シャンドの高校Milton Abbey School

カミラ王妃の弟・マーク・シャンドの出身高校は、ドーセット(Dorset)にある『ミルトン修道院学校(Milton Abbey School) 』です。

『ミルトン修道院学校(Milton Abbey School) 』は、南西イングランドのドーセット(Dorset)にある
ブランドフォード フォーラム(Blandford Forum)近くのミルトン アバス村(Milton Abbas)にある、通学および寄宿生のための私立の共学校です。

所在地 near Blandford Forum, Dorset, DT11 0BZ England
電 話 +44 1258 880484

しかし、マーク・シャンドは、大麻を吸った疑いで『ミルトン修道院学校(Milton Abbey School)』を退学となりました。

『ミルトン修道院学校(Milton Abbey School) 』を中途退学となった後、マーク・シャンドは、父親・ブルース・シャンド“自分で生計を立てさせる”という教育方針のもと、オーストラリアに送られました。

英国カミラ王妃の弟の出身小学校は?

カミラ王妃の弟マーク・シャンドの小学校St Ronan's School

カミラ王妃の弟の出身小学校は、ケント(Kent)にある『聖ローナンズ学校(St Ronan’s School)』です。

所在地 Hawkhurst, Kent, TN18 5DJ United Kingdom
電 話 +44 1580 752271

イギリスのケント(Kent)州ホークハーストにある 3歳から13歳まで男女共学の学校です。


4 年生以上のすべての生徒は、月曜の夜から木曜の夜まで寄宿舎を利用できるそうです。

英国カミラ王妃の弟の経歴は?

高校課程を中途退学した後、父親によって、自分で生計を立てさせるためにカミラ王妃の弟・マーク・シャンドをオーストラリアに送られました。

オーストラリアで、マーク・シャンドは、イギリスから来た未経験な植民者として牧場オパール鉱山の警備員として働くなど、多くの仕事をしました。

イギリス帰国後、彼はロンドンに戻り、アメリカ系多国籍企業で美術工芸品、装飾美術品、宝飾品のブローカーのサザビーズ(Sotheby’s)でポーターとして働き、

その後、彼の友人である第15代ウェストモーランド伯爵の息子であるハリー フェーン(Harry Fane)と共に、しばらくの間、カルティエ(Cartier)のジュエリーを販売するビジネスを始めました。

1987年 インドネシアイリアン ジャヤへの遠征についての旅行本『Skulduggery』を出版

1990年 フランスの女優・クリオ・ゴールドスミス(Clio Goldsmith)と結婚

クリオ・ゴールドスミスは、フランスの元俳優・エドワード・ゴールドスミス(Edward Goldsmith)の娘で、金融家で政治家のジェームズ・ゴールドスミス卿(Sir James Goldsmith)の姪にあたります。

マーク・シャンド夫妻は、ローマに住み、1995年娘・アイーシャ(Ayesha) に授かりました。

以下の3冊の書籍を出版

1992年 『Travels on My Elephant』(ベストセラーとなり、英国図書賞で年間最優秀旅行作家賞を受賞)
1996年 『Queen of the Elephants』
2003年 『River Dog: A Journey Down the Brahmaputra 』

BBCの自然保護論者およびトラベル ライターとして、カジランガのパルバティ バルアという女性象使いの生涯についての書籍『Queen of the Elephants(象の女王)』を執筆し、ドキュメンタリーとしぃて解説しました。


2002年 アジアゾウの保護に積極的に関与し、『Elephant Family(エレファント ファミリー) 』と呼ばれる慈善団体を共同設立しました。

マーク・シャンドは、反奴隷制インターナショナルの後援者で、王立地理学会のメンバーであり、アッサム州の野生動物保護区名誉主任でもありました。

2010年 女優・クリオ・ゴールドスミスと離婚

2014年 スウェーデンのヨーテボリ(Gothenburg)で開催された自然保護お祭りのディナー
『サイの救済(Save The Rhino」)』で『2014年度の自然保護者(The Conservationist of the Year 2014)』を受賞

英国カミラ王妃の家族 父親母親の学歴は?兄弟姉妹は?まとめ

英国のチャールズ国王の妻・カミラ王妃の父親母親とは?兄弟姉妹はいるか?などについてご紹介します。

カミラ王妃は、陸軍少佐で女王の警護も担当した父親と美人で上流階級出身の母親との間に生まれ、しっかりとした家庭環境で育てられているんですね。

インテリアデザイナーになった妹さんや、高校中退になってしまった弟さんを自立のためにオーストラリアに送ってしまうところを見ると、ご両親が、子供達の意思を尊重しながらも、時には厳しく、愛情をもって育てたことが感じられます。

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