クリスマスは、日本にいつ、どのように広まったのでしょう?


『メリークリス』、『サンタクロース』、『プレゼント』、『クリスマスケーキ』『クリスマスイルミネーション』などなど、楽しくウキウキした気分にしてくれるクリスマスですが、日本ではいつ始まったのでしょうね?


日本でどのようにクリスマスが伝えられ、広まっていったのか日本でのクリスマスの歴史について調べてみました。

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クリスマス日本での歴史 日本で始まったのはいつ?どこで?

クリスマスは、『イエス・キリストの降誕(誕生)』を祝う行事なので、当然のことなのですが、日本でのクリスマスは、戦国時代後半に、カトリック教会(イエズス会)の宣教師フランシスコ・ザビエルフランシスコ・デ・ザビエル(スペイン Francisco de Xavier または Francisco de Jasso y Azpilicueta, 1506年頃4月7日 – 1552年12月3日)が、キリスト教を布教し始めた事に起因しています。


1549年(天文18年)8月15日 
フランシスコ・ザビエルは、コスメ・デ・トーレス(Cosme de Torres, 1510 - 1570年10月2日スペイン出身)と日本人ヤジロウと共に鹿児島に到着



1551年(天文20年)
フランシスコ・ザビエルが、再び、インド目指して出発する際、コスメ・デ・トーレスは、日本布教の責任を託されました。
(この時点でのキリスト教徒の数は、約600人を超えていたといわれています。)



1552年(天文21年)
現在の山口県山口市において、カトリック教会(イエズス会)の宣教師であるコスメ・デ・トーレスらが、日本人信徒を招いて降誕祭のミサを行いました。これが日本で初めてのクリスマスになりました。



※ヤジロウ(弥次郎、1511年(永正8年)頃? – 1550年(天文19年)頃?)は、史料上確かな最初の日本人キリスト教徒と目される人物。
彼はフランシスコ・ザビエルの通訳者、神(デウス)概念や聖句などの翻訳者として活躍し、日本の西日本地域で布教・宣教活動に従事しました。



1560年代 戦乱の絶えなかった頃、京都で、キリスト教徒(キリシタン)達によって、戦いによる負傷者のや貧しい者たちの救援活動が行われ、飢饉の際には炊き出しなどの慈善活動も行われました。

そして、クリスマスには、キリスト(キリシタン)ら100余名が集まり盛大な降誕祭が行われました


1567年(永禄11) 堺近郊で起きた織田信長松永久秀との戦いの際
堺の教会にいたイエズス会司祭ロイス・フロイス(ポルトガル Luis Frois 1532 – 1597)が、クリスマス休戦を申し出たことで、両陣営にいた約70名の武士が、堺の教会に集い、ミサや懺悔を行い、料理を持ち合い仲良く食事をしました。そして、翌日、再び敵味方に別れて戦場に戻りました。


小田信長の寵愛を受けたロイス・フロイスを初めとする宣教師やキリシタン大名の高山右近の功績で若い日本人聖職者や在日ヨーロッパ人聖職者の教育機関である神学校・学院、修練院等を開設に成功し、画期的な布教方針を樹立していきました。


1576年  京都南蛮寺の建築

織田信長の保護を得たイエズス会(カトリック)は、京都布教の拠点として四条坊門姥柳(うばやぎ)町に3階建ての聖堂を建立し、南蛮寺と呼ばれた教会は新しい京の名所として賑わい、門前には南蛮帽やロザリオなどの南蛮グッズを売る店もありました。


各教会には合唱隊もでき、オルガンの伴奏で賛美歌が歌われ、荘厳なミサが挙げらました。


織田信長は、町の教会を訪問しては、オルガンやヴィオラ、クラボ、ハープ、フルートの色に酔いしれたといいます。


1580年  安土セミナリヨ(神学校)の開設 
織田信長の庇護を受けた宣教師オルガンチノが建てた、日本初のキリスト教学校です。本能寺の変後、安土城とともに焼失しました。


1580年代、キリスト教信者数は、60万人にも上っていました。

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クリスマス日本での歴史 豊臣秀吉

織田信長亡き後天下をとった豊臣秀吉は、初めは織田信長と同様にキリシタンを優遇し、南蛮貿易を推進していました。


豊臣秀吉自身も南蛮趣味に凝った時期もあり、お花見で家来達に南蛮衣装を着させたり、寝室には大型のベッドも置かれた時期もあったそうです。


1583年(天正11年)クリスマスに、大阪に作られた教会で、京都・堺・河内・摂津等からキリシタンの大群衆が集い、盛大なミサが挙げられました。


1587年(天正15年)禁教令(バテレン追放令)を発布
バテレンとは、ポルトガル語で「神父」を指し、キリスト教宣教を禁止しました。

ただし、豊臣秀吉は、南蛮貿易を重く見てたので、特に弾圧することもなく、後黙認する形を取っていたので、結果として、追放令以後も宣教師達は(制限付きでわありましたが)活動することはできました。


1590年頃 関ヶ原の戦い前後まで毎年1万人余が新たに洗礼を受けていたなど、(天正遣欧使節が帰国した頃)キリスト教と南蛮文化が、もっとも栄えました。

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クリスマス日本での歴史 江戸時代

1612(慶長17)年 江戸幕府の禁教令
道会士や主だったキリスト教徒がマカオやマニラに国外追放され、また宣教師ら修道会士と信徒、及び彼らを匿っていた者たち計55名を長崎西坂において処刑されました。



1616年 徳川秀忠 鎖国令
「下々百姓に至るまで」とキリスト教の禁止を厳格に示しました。


その後、約200年間、鎖国が解かれるまで、キリスト教は禁止され、公にクリスマスが祝われることはありませんでした。


(例外)

長崎出島のオランダ商館に出入りするオランダ人たちは、キリスト教を禁止する幕府に配慮しつつ、自分たちがクリスマスを祝うため、オランダの冬至の祭りという方便でオランダ正月を開催していました。


これには幕府の役人や、通訳や蘭学者などオランダ人と付き合いのある日本人も招かれ、また、長崎に住むオランダ通の日本人たちの間でも、これを真似て祝うことがありました。

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クリスマス日本での歴史 明治時代

1873年(明治6年)キリシタン放還令
禁教令が説かれ クリスマスが復活し、信徒意外にもクリスマスが広がっていきました。


俳人である正岡子規の句にも、クリスマスが登場しています。


1892年(明治25年) 正岡子規25歳の句
「臘八ろうはちのあとにかしましくりすます
(臘八という厳粛な仏教の行事の後にやかましいクリスマスがやってくる)

1896年(明治29年)「八人の子どもむつましクリスマス」
ここではクリスマスをほほえましい行事として捉えています。



1900年(明治33年)横浜で創業した『明治屋』が銀座に進出
この頃からクリスマス商戦が始まりました。


1904年(明治37年)銀座『明治屋』が商業用のディスプレイとして初めて『クリスマスツリー』を飾り、大きな話題を呼びました。


1910年(明治43年)『不二家』『クリスマスのデコレーションケーキ』を発売
 


クリスマス日本での歴史 大正時代

大正時代になると、児童向け雑誌や少女雑誌の12月号には、表紙をはじめとしてクリスマスにまつわる話や挿絵がたくさん取り入れられました。


1919年(大正8年) 『帝国ホテル』が一般客向けの『クリスマスパーティー』を開催


1925年(大正14年) 日本で初めて『クリスマスシール(結核撲滅の寄付切手)』が発行されました。

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クリスマス日本での歴史 昭和(戦前)クリスマスは祝日だった?

明治以来、皇位継承に伴って、天長節(天皇誕生日)先帝祭(先帝崩御日)の2つ日が、祝日として変更されています。


1926年(大正15年)12月25日 大正天皇崩御
昭和時代の先帝祭にあたる大正天皇祭(12月25日)が祝日となりました。


クリスマスの日である、12月25日が休日となったこの時代に、日本では、クリスマスの習慣が、最も広く普及しました。


昭和初期の頃、銀座、渋谷道玄坂から浅草にいたるまでの多くのカフェ喫茶店においては、クリスマス料理の献立を用意し、その店員はクリスマスの仮装をして客を迎えました。



1944年 第二次世界大戦の最中
1944年に撮影された『加藤隼戦闘隊』では、前線部隊の食堂でクリスマスツリーが飾られてるシーンが映っているなど、戦争中でもクリスマスを祝われていたようです。

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クリスマス日本での歴史 昭和(戦後)・平成

1948年(昭和23年) 大正天皇祭は休日から外され、12月25日は休日ではなくなりました。
しかし、クリスマスは、すでに日本の年中行事として定着しており、その後もクリスマスの行事は、盛大に行われました。


商業施設では早いところは11月上旬からクリスマスツリーが飾られ、店内にはクリスマスソングが流れクリスマスセール等が行われ、洋菓子店ではクリスマスケーキが販売され、街中では街路樹に『クリスマスイルミネーション』の豆電球が飾り付けられ、クリスマスの雰囲気が盛り上げられるようになります。


商業施設などでは、、12月24日のクリスマス・イヴにイベントなども催されています。

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クリスマス日本での歴史 まとめ

日本でもクリスマスは大きなイベントとして定着してきましたが、キリスト教徒を除く多くの日本人の間では、『イエス・キリストの降誕(誕生)』を祝う宗教行事とは程遠いものになってきているようです。


日本におけるクリスマスの歴史について書いてつもりですが、ほとんど日本におけるキリスト教の歴史みたいになってしまいました。


天下人の中でキリスト教を弾圧したり、禁止しなかったのは、織田信長だけでしたね。


織田信長は、宣教師を通して海外の情報やそ文化を吸収し、世界を見ていたようですね。


明智光秀による本能寺の変が起こらず、織田信長の天下統一が実現していたら、日本におけるキリスト教の布教や日本のクリスマスも、今とは違ったものになっていたかもしれませんね。


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