芸人のヒロシさん、一時は「ヒロシです」のネタで大ブレイクしていましたが、その後、あまり見かけなくなったので、消えてしまったのかな??と思っていました。


しかし、最近は、お店を出したり、キャンプ動画などで多岐にわたってお仕事を展開し、成功されているようですね。


そんな芸人ヒロシさんが、芸人になった理由やのブレイクしたネタ「ヒロシです」の誕生のキッカケなどについて調べてみました。




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ヒロシが芸人になった理由




ヒロシが芸人になろうとしたキッカケが、あまりにも『ヒロシ』らしいです。


ヒロシさんが小学生の頃は、ちょうど漫才ブームの真っただ中の頃で、「芸人」という職業に衝撃を受け、ヒロシさんも自然と「芸人」へ憧れの気持ちが強くなったようです。


ヒロシさんが、特に好きだったのがツービートの漫才で、小学生の頃、家族に頼み込んでなんばグランド花月に行き、初めて生のお笑いライブを観劇しています。


また、全国区になる前のダウンタウンが劇場の外で待つ多くの女性ファンを見て「お笑いで頑張ればこんなにモテるんだ!!」と大きな衝撃!!を受けて、ヒロシさんは、“芸人になる”と心に誓ったようです。


小学生時代のヒロシさんは、担任の教師にさえも嫌われてしまうほど、暗くて、じめられっ子だったようです。


中学3年生の三者面談の時に、ヒロシさんは、“芸人になりたい”と、
自分の希望とする進路を伝えたところ、先生に軽くあしらわれてしまったそうです。



ヒロシさんは、自分の進路について真剣に相談したかったのに、、、ですね。


最近は、小学生や中学生のなりたい人気の職業が、『YouTuber』だったり、実際に『YouTube』で稼いでしまっている小中学生もいたりするので、学校の先生としても、偏差値や希望とする学校を確認するだけのような、通り一遍の進路指導では、足りなくなってきているかもしれませんが、、、



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ヒロシ(芸人)サラリーマン生活を経験!?




高校の先生方の進路指導の下、そしてご両親の「炭鉱夫ように危険な仕事ではなく、大学を出て安定した企業でサラリーマン生活を送るという道を息子に歩ませたい」希望と期待を察してか、


ヒロシさんは、熊本県立荒尾高等学校から指定校推薦で九州産業大学商学部に進学しています。


海の者とも山の者とも分からない“芸人”一本に絞ることもできず、安全策として、サラリーマンとしての進路も考えたのでしょうね。


ヒロシさんは、“芸人になる!!”という夢を実現させるため、大学1年生のとき、男友達2人を誘ってトリオ「貴族」を結成します。


ヒロシさんは、このトリオ「貴族」として、吉本興業が主催するお笑いオーディション番組「激辛!?お笑いめんたい子」に応募しますが、テレビ熊本で行われた熊本予選に参加して不合格になってしまします。


残念ながら、トリオ「貴族」として出演しているものはみつけられませんでしたが、「激辛!?お笑いめんたい子」って、どんな番組??と思い、探してみました。




その後、ヒロシさんは、大阪府や福岡県などの企業への就職を試みましたが、を数社受けるも全滅し、就職が決まらないまま大学を卒業となりました。


実家に帰り、しばらくダラダラとした生活を送っていたら、見かねた両親が知人の伝手でヒロシさんを保険会社に就職させ、ヒロシさんは、損害保険の営業の仕事をすることに、、、。


ヒロシさんの極度の人見知りの性格が営業の仕事に合わなかったのか、入社から半年後、身内を一通り保険に加入させ、退職しました。


“サラリーマン生活は、ムリ!!”と思ったようです。




23歳のとき、再び「激辛!?お笑いめんたい子」のオーディションに挑戦しています。


この時も結果は、またもや不合格!!でしたが、福岡吉本のスタッフが不合格者の中からどうしてもお笑い芸人になりたい人を募っていたので、


サラリーマンとして挫折を経験していたこともあり、ヒロシさんは、「もう逃げ道はない」という強い気持ちで、福岡吉本のスタッフに連絡しました。


福岡吉本での初めの仕事は、ナインティナインが出演するイベントでのチケットもぎりでした。その後も雑用係としてイベント会場に呼ばれる日々が続きました。


その後、ヒロシさんは、芸能プロダクションが沢山あり、新人発掘のライブが頻繁に行われている場所は東京!!と思い、3年間所属した福岡吉本を辞め、26歳の時に上京。


中野区の6畳一間のアパートで、芸人仲間6人と共同生活を送っていたそうです。


6畳一間に大人が6人で生活するって、どういう状態なんでしょう??と思いますが、未来の為に頑張っている若者たちには、多少ハングリーな方が、良いのかもしれませんね。


ある日、相方と一緒に受けたテレビ番組のオーディションにヒロシさんだけが合格したこたが原因で、コンビは解散し、ヒロシさんの相方は地元福岡に帰りました。



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ヒロシ(芸人)歌舞伎町でホストをしていた!?




コンビ解散後、生活費に困っていたところ、芸人仲間から「ホストは稼げるし、モテるぞ」と聞き、ヒロシさんは、歌舞伎町の小さな店でホストとして働き始めました。


ヒロシさんのホストとしての源氏名「冴神 剣(さえがみ けん)」で、殺し文句「あなたの心を一刺し」だったそうです。


カッコいい源氏名ですね。イケメンのNo.1ホストに「あなたの心を一刺し」なんて言われたら、女性も本当に一刺しされてしまうのかもしれませんが、人気もなくサエないホストに「あなたの心を一刺し」と言われても、イタイ(>_<)だけかも??しれませんね。


ヒロシさんは、ホストの面接で、酒が飲めないと伝えていましたが、実際には、


毎晩大量の酒を飲まされ、飲まないと怒鳴られ
長時間労働で風呂も入らず仮眠をとっただけで出勤し
高熱が出て仕事を休んでも罰金3万円を払わされる


といった辛い日々が続きました。


ほとんど指名されなかったヒロシさんの給料は月3万円程度だったので、唯一の休みだった日曜日も、ヒロシさんはコンビニでアルバイトしなければなりませんでした。


コンビニでのアルバイトは、週1回なのに、ホストの給与よりよかったようです。


ヒロシさんは、ホストクラブを辞めようとするのですが、「代わりのホストを探せ」と脅され、逃げようとすると1日6万円で借用書を書かされ、取り立てに来られたこともあったようです。


また、その当時交際していた女性が二股をかけていて、ヤクザ風の男たちがヒロシが芸人仲間と共同生活をしていたアパートに押しかけてきたということも、、、。


ヒロシさん、さすがに身の危険を感じ、窓から逃亡し、それ以降、そのアパートには二度と戻りませんでした。


ヒロシさんには新しいアパートを借りる余裕もなかった為、ホストの客引きの時間に見知らぬ通行人に泊めてくれるように頼みこんだこともあったそうです。


そんなヒロシさんのことを泊めてくれる人も時々いましたが、何日もお金を払わずに居座ると追い出され、また新しい宿を探すという生活を続けていました。

そんなこんなで、ヒロシさん、ホストをしていたにもかかわらず、ホームレスになったこともあります。

ヒロシさんは、後に、29歳から31歳までのこのホスト時代「まさに生き地獄」だったと回想しています。

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ヒロシ(芸人)ネタ「ヒロシです」誕生のキッカケ




2003年 ヒロシさんは、心身ともに限界に達し、元旦、初日の出とともに, 誰にも告げずに荒尾市の実家に帰りました。


2か月間、ヒロシさんは、実家に引きこもり、ひたすら大学ノートにネタを書き溜めました。


・幼い頃いじめられた経験、
・女性にモテなかった青春時代、
・ホストとしてお笑いが出来なかった悔しさ



など様々な思いをネタにしました。


この時生まれたのが「ヒロシです」のネタです。


ヒロシ(芸人)本名は「ヒロシではありません」

芸人のヒロシさんは、「ヒロシです」と言っていますが、本当は「ヒロシ」ではありません


本名は、齊藤 健一(さいとう けんいち)さんと言います。


芸人ヒロシさんの「ヒロシ」という芸名は、フリーアナウンサーの生島ヒロシさんのヒロシに由来しています。





たまたま家にあった雑誌の表紙生島ヒロシさんが写っていて、「親しみやすい名前」だと思っったそうです。


書き留めたネタを、いつもここからの山田一成に見せに行ったところ、「いいじゃない!」と背中を押してくれたそうです。


早く「ヒロシです」のネタを広めたいと思い、多くのライブに出演しました。


早朝に起きてネタを作り、オーディションを多数受け、月20本のライブ出演をこなし、深夜アルバイトをこなすという生活を送りました。


そんなことを続けていたところ、、サンミュージックプロダクションから「うちで預かります」と声をかけられ、ヒロシさんは、初めて正式に芸能事務所に所属することができました。


それから間もなく、ヒロシさんは、「エンタの神様」で全国放送に出演しています。


その時のキャッチコピーは「孤独な男のモノローグ」でした。






ネタとしては、よくあることを扱っているのですが、それでもオモシロくて、思わず笑ってしまいます。


放送から数日後、どれだけ人気が出たか確かめようとして、ヒロシさんは、吉祥寺で行われたライブの会場周辺を「ヒロシです」のBGMを流しながら何度も往復しましたが、、誰にも気づかれなかったようです。


この行動は、ヒロシさんらしいですよね。


ヒロシさんが、芸人になりたいと思ったのは、劇場の外で待つ多くの女性ファンを見て「お笑いで頑張ればこんなにモテるんだ!!」と大きな衝撃!!を受けたところから始まっているので。



2004年、三宅裕司と同郷のくりぃむしちゅーが司会を務める「笑いの金メダル」にも出演。





1回出演するだけの予定でしたが、三宅裕司くりぃむしちゅーが気に入ってくれ、ヒロシさんは、その後何度か「笑いの金メダル」に出演し、それが、ヒロシさんのブレイクのキッカケとなりました。


「あっぱれ!!さんま大教授」に美輪明宏の今一番気になる人としてゲスト出演もしました。


美輪明宏からは
「誰にでも思い当たるようなことをネタにするセンスと、照明やポーズを含めた自己演出に秀でている。すごく頭がいい芸人」とヒロシさんのことについてコメントしています。


それからヒロシは美輪明宏の大ファンとなり、美輪明宏の舞台を何度も見に行っています。


「笑いの金メダル」に出演してから3、4か月たった頃、給料が30万円振り込まれ、初めて売れた実感を得た。


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ヒロシ(芸人)雑誌デビューもネタに




ヒロシさんは、お金が貯まると、家賃2万円の4畳半から渋谷にある家賃13万円の2LDKのアパートに引っ越しましたが、荷物の搬入が終わり、近くの吉野家で牛丼を食べ終えてホッとして店を出たところ?週刊誌「女性自身」の記者に突撃取材を受けます。


ヒロシさんは、居場所が特定された恐怖心から動揺人違いだと立ち去り、すぐに事務所に電話した。


それからしばらくして「四畳半は卒業したとです…。2LDKピカピカのマンション新生活!」(2005年)という見出しで、ジーンズとスニーカー姿のヒロシさんの写真付きで記事が掲載されました。


喜んでよいのか悪いのか、こうして、ヒロシさんは、雑誌デビューも果しました。


2005年『第1回お笑い芸人歌がうまい王座決定戦スペシャル』で、ヒロシさんは、見事初代王者となり200万円を獲得しています。


ヒロシさんのライブ会場には出待ちの女性たちが何百人単位で詰め掛け、黄色い声援を飛ばし、「ヒロシ」と書かれたうちわを持ったファンもいました。


ヒロシさんがお笑い芸人を目指した最大の理由であった「女性にモテたい」という願いがかなったというわけです。


せっかく「女性にモテたい」という願いが叶ったにもかかわらず、人見知りの性格のせいで、女性に話しかけることが出来ず、警備員に囲まれてそのままタクシーに乗せられるだけ、、、、の日々を繰り返していました。


実にもったいない話ですね。


しかし、ヒロシさんは、欲望に勝てなかったのか、風俗店に通うようになります。


2007年 やっと購入した高級車ジャガーに乗って東京を代表する吉原の風俗店に行ったところ、今度は「週刊女性」に
「貧乏じゃなかとです…。白いジャガーで『ソープランド』」(6月12日号)
という題名で記事が掲載されてしまいました。



料金ほか、部屋の備品からヒロシの様子まで詳細が掲載され、ヒロシはとても恥ずかしい思いをしたが、後に、ヒロシさんは、このことを「ヒロシです。彼女の名前を知りません。」とネタにしています・


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ヒロシ(芸人)が芸能界から消えた!?理由




絶頂期、月収1000〜3000万円が1年ほど続き、最高月収は4000万円も稼いだヒロシさんですが、炭鉱街出身で、贅沢な生活に慣れていなかったためか、お金のある生活を上手く楽しめなかったようです。


ヒロシさんがその当時にした贅沢といえば、3万円のアパートから家賃48万円の家に引っ越し、高級車ジャガーを購入したくらいで、その他の稼ぎは全て風俗への利用につぎ込んでいました。


売れても女性にモテないことや週刊誌による暴露的な報道売れてから周囲の人間に「天狗になった」と陰口を叩かれるようになるなど様々な苦悩を経験しましたが、ブレイクして一番つらかったのは、各局の番組スタッフに嫌われたことでした。



ヒロシ(芸人)が嫌われた理由


・番組側が用意した「ヒロシです」のネタを披露するように言われた際に断ったこと
理由: 「ヒロシです」のネタは、ヒロシ自身の人生経験から生まれたというこだわりのあるネタであったため。



・「もうひな壇には出たくない」と発言したこと
理由: 大して面白い話も出来ないのに、出演料を貰うのは申し訳ないと思っていたから



・事務所に「もうテレビに出ません」と伝えたこと
いずれもコミュニケーション不足が招いた誤解でした。



理由:ヒロシの持って生まれた極度のあがり症&内向的な性格


・ヒロシさん自身は、「ここぞ」というときには力を発揮できるタイプで、テレビ出演を続ければ、慣れると思っていましたが、一向に慣れなませんでした。


・テレビ番組の収録ある時には、吐き気がして前日から眠れず、テレビ局に近づくと体が震え出し、楽屋で有名タレントに会っても緊張して話せず、収録中は意識が朦朧として、共演者が何を言っているのか、半分以上理解できない状況が続きました。


自分から断ったとはいえ仕事が減り、悩んでいたころ、4年ぶりに仕事で会った美輪明宏さんに「待つのも仕事なのよ」という言葉をかけられたそうです。


2008年 ヒロシさんが、自叙伝「沈黙の轍 ずんだれ少年と恋心」を出版する際、美輪明宏さんは、本の帯に推薦文を書いてれています。





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ヒロシ(芸人)ネタ「ヒロシです」誕生のキッカケまとめ

ヒロシさんが芸人になりたかった理由は、“女性にモテたかったから”なんですね。


芸能界を目指したのは良かったのかもしれませんが、その人見知りな性格や極端なあがり症の為、芸能界では苦労が多かったようですね。


ヒロシさんの独特のセンスとネタを、是非これからも貫いて頂きたいですね。


あくまでも自然に生きていこうとする姿が、カッコいいですね。



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