2月14日は、“恋人たちの日”、『バレンタインデー』です。
『バレンタインデー』には、日本では愛の告白として、“女性から男性にチョコレートを送ります”が、なぜ『バレンタインデー』にチョコレートを贈るのでしょう?
そして、日本では、いつ頃から“バレンタインデー”が祝われているのでしょうか?
“バレンタインデー”はいつ日本に?なぜチョコレート?などについてまもめてみました。
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バレンタインデー 日本にチョコレートはいつ?
ちなみに、“日本初の国産チョコレート”は、風月堂総本店の主、5代目大住喜右衛門が、当時の番頭である米津松蔵に横浜で技術を学ばせ、1878年に『両国若松風月堂』で発売されました。
1918年 『森永製菓』によって、カカオ豆からの一貫生産が、開始され、チョコレートは高級品から庶民の菓子となり
1920年代から30年代にかけて日本人の間に急速に普及していき、第二次世界大戦後まもなく、流通業界や製菓業界によってチョコレートの
販売促進が促されました。
1958年ころから、日本でも、『バレンタインデー』が、流行し始めました。
1970年代後半には、“女性が男性に対して、親愛の情を込めてチョコレートを贈る”という「日本型のバレンタインデー」の様式が定着しました。
バレンタインデー 日本ではなぜチョコレート?
『バレンタインデー』の贈り物として、ヨーロッパやアメリカなどでも、恋人やお世話になった人に『チョコレート』を贈ることはありますが、
『バレンタインデー』の贈り物は、チョコレートに限定されているわけではなく恋人やお世話になった人に、贈り物をするのは、『バレンタインデー』だけではありません。
最近では、日本でもチョコレートにこだわらず、クッキーやケーキなども贈られるよういなっていましたが、日本の『バレンタインデー』で女性から男性への贈り物としては、『チョコレートに限定されている』といっても過言ではなでいほど、チョコレートが主流です。
なぜならば、日本では、バレンタインを取入れ流行らせたのが、チョコレート会社だったからなんですね。
日本における『バレンタインデー』とチョコレートの歴史をまとめてみました。
①バレンタインデーと広めたのは『モロゾフ製菓』?
『モロゾフ製菓』が、バレンタインチョコレートを最初に考案した仕掛け人であるとされています。
1931年、神戸トアロードのチョコレートショップからスタートした『モロゾフ製菓』は、日本ではまだチョコレートそのものが珍しかった時代に、本物のおいしさにこだわった高級チョコレートを世に送り出しました。
芸術品のようなボックスに眠る美しいチョコレートは、当時の人々にとって、ドレスや宝石といった贅沢品と同じように、心ときめくあこがれの存在でした。
翌1932年、『モロゾフ製菓』は日本で初めて〝バレンタインデーにチョコレートを贈る〟というスタイルを紹介しました。
「欧米では2月14日に愛する人に贈りものをする」という習慣を米国人の友人から聞き知った創業者が、この素晴らしい贈りもの文化を日本でも広めたいと考えたことがきっかけだったそうです。
#まんぷく 咲姉ちゃんがみんなに読み聞かせたチョコレートの広告は、神戸のモロゾフが昭和11年2月12日に英字新聞・ジャパンアドバイザーに出した 日本初のバレンタインデー広告をベースにしているようです。 pic.twitter.com/KewdEtSPaH
— ひぞっこ (@musicapiccolino) December 21, 2018
1936年2月12日 神戸の『モロゾフ製菓』が、外国人向け英字新聞『ザ・ジャパン・アドバタイザー』に、「あなたのバレンタイン(=愛しい方)にチョコレートを贈りましょう」というコピーの広告を掲載しています。
1992年 (日本チョコレート・ココア協会によると)神戸が“日本のバレンタインデー発祥の地”であるとして、 聖バレンタイン殉教の地イタリアのテルニ市から、神戸市に『愛の像』が送られて送られました。
2010年 テルニ市から『モロゾフ製菓』へ、愛と友情の証である『トロフィー』が贈られました。
2013年 『モロゾフ製菓』の本店があった最寄り駅の阪神御影駅南側の広場が『バレンタイン広場』として整備され、聖バレンタインゆかりの地とされるテルニ市からの認められています。
②バレンタインデー広めたのは『メリーチョコレート』?
1958年 大田区の製菓会社『メリーチョコレートカムパニー』においても、2代目社長・原邦生が“バレンタインデーにチョコレートを渡すのがいいのでは”と考案
1958年2月 『伊勢丹新宿本店』で「バレンタインセール」というキャンペーンを行いました。
2代目社長・原邦生は、学生時代、『メリー・チョコレート』でアルバイトをしていたのですが、その当時、友人から、パリでは、バレンタインデーに、花やチョコレートを贈り合う、と聞いた時、これを販売促進に使えないかと考え、父親に「バレンタイン・セール」を提案したのだそうです。
この時、(2月12日―14日)3日間で売れたのは、50円の板チョコわずか3枚と、20円のメッセージカード1枚、総売り上げ170円という散々な結果だったそうです。(東京タワーがお披露目になった年のことです。)
その後、チョコレートをハート型にして、その上に贈る人と相手の名前を入れられるサービスを実施し、『年に一度、女性から男性へ愛の告白を!』というキャッチコピーをつかたところ、大ヒットにつながりました。
当時の日本は、まだ男性中心社会で、女性が男性を口説くなど、はしたないとされていた時代に、2代目社長・原邦生は、『年に一度、女性から男性へ愛の告白を!』というキャッチコピーで女性の背中をそーっと押してあげることができたというワケです。
1956年の西武百貨店や松屋の新聞広告や、1959年の松坂屋の新聞広告にも「バレンタインデー」の文字がある広告が、掲載されました。
1960年 『森永製菓』も「愛する人にチョコレートを贈りましょう」と新聞広告を出しました。
しかし、当時のバレンタインデーの新聞広告によると、購入を勧める贈答品としてチョコレートは登場しておらず、チョコレートは贈答品のおまけとして位置付けられていました。
「チョコレートを贈る日」ではなく、「チョコレートを添えて(手紙などを)贈る日」として書かれており、『バレンタインデー』に贈答品を贈るのは誰かという点でも女性に限定されておらず、ただ「愛の日」という点が強調されていたようです。
1965年に 『伊勢丹』が、バレンタインデーのフェアを開催
1970年代 女子が男子に親愛の情を込めて本命チョコを贈るという「日本型バレンタインデー」が、日本の社会に定着し、小学校高学年から高校生までの学生層から広まりました。
1980年代 夫や父親、義父に贈る主婦層にも普及し、さらに日本独自の習慣がであると“義理チョコ”も普及しだしました。
バレンタインデー 日本にはいつ?なぜチョコレート?まとめ
バレンタインデー が、日本に伝わったのは、戦後で、1958年ごろなんですね。
日本で、バレンタインデーにチョコレートが贈られるのも、クリスマスや、ハロウィンと同じように、商業主義によるところが大きいようですね。
今となっては、チョコレートのないバレンタインデーなんて考えられたいほどですね。
毎年、どんなバレンタインチョコレートがあるのか楽しみです。
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