クリスマスとは何の日?クリスマスって、いつ?クリスマスって、キリストの誕生日じゃないの?などなどクリスマスに関する、知っていそうでよく分かっていないことを調べてみました。
クリスマスが近づくと、いたる所でイルミネーションがキラキラと輝き、よく分かあらないけど、なんだかウキウキした気分になってきます。
子供だけではなく大人も楽しみにしている一年の中で最も大きなイベントですが、クリスマスって、一体、何と思いますよね。
クリスマスとは?何の日?
クリスマスは、『イエス・キリストの降誕(誕生)を記念する祭日』です。
イエス・キリスト誕生日ではなく、降誕を記念する日です。
ただし、キリスト教で最も重要な祭と位置づけられるのは、クリスマスではなく、イースター(復活祭)です。
キリスト教に先立つユダヤ教の暦、ローマ帝国の暦、およびこれらを引き継いだ教会暦では、日没を一日の境目としているので、クリスマス・イヴと呼ばれる12月24日の夕刻から朝までも、教会暦上は、クリスマスと同じ日に数えらています。
クリスマスは、一般的年中行事としても楽しまれ、ジングルベルなどのクリスマスソングは多くの人に親しまれています。
キリスト教圏では、クリスマスは、主に家族と過ごし、クリスマスツリー(常緑樹で、一般にモミの木)の下にプレゼントを置きます。
クリスマスは、プレゼントを贈る気持ちである「愛」の日でもあります。
クリスマスとはいつ?
クリスマスですが、キリスト教(カトリックとプロテスタント)では、イエス・キリストの生誕日を祝う行事であるクリスマスは、12月25日に行われます。
クリスマスを12月25日としているのは、いわゆるキリスト教(カトリックとプロテスタント)だけで、ギリシャ正教では1月7日、アルメニア教会では1月19日をその日としています。
イエス・キリストの生誕日が、いつであったかは、正確には分かっていません。聖書の中にも誕生の日付については、記載されていなようです。
では、なぜキリスト教会(カトリックとプロテスタント)が、12月25日をクリスマスにしたかといえば、ヨーロッパの各地で行われていた、太陽の再生を祝う冬至祭を取り入れたためと言われています。
クリスマス英語以外では何という?
『キリスト降誕を記念する祭日』であるクリスマスは、日本語では、英語の 『Christmas』 に由来する「クリスマス」の他に、「降誕祭」、「聖誕祭」、「聖夜」などがあります。
英語の 『Christmas』は、『キリスト(Christ:クライスト)のミサ(mass:マス)』に由来しています。
これは、古英語の Crīstes mæsseが、中英語において Cristemasse となり、現在の『Christmas』に至っています。
ヨーロッパ各国語でも、イエス・キリストの生誕を祝う祭りは、「キリストの誕生」あるいは、 “キリストの” にあたる部分を省略した「誕生」を指す言葉で表されています。
フランス語では『ノエルNoël(降誕)』
イタリア語では『ナターレNatale(降誕)』
ドイツ語では『バイナハテンWeihnachten(聖夜)』
また、『Xmas』と書く場合のXは,ギリシア語のキリスト(クリストス)ΧΡΙΣΤΟΣの第1字を用いた書き方です。
クリスマスはキリストの誕生日じゃない?
キリスト教では、クリスマスをイエス・キリストの誕生日と考えているわけではありません。
クリスマスは、あくまでも『キリスト降誕(誕生)を記念する祭日』という位置付けになっています。
聖書の中にイエス・キリストの生誕日がいつであったかは記載されておらず、実際の誕生日は分かっていません。
イエス・キリストの誕生は、12月25日ではなかったかもしれませんが、12月25日でなかったとも言えないわけです。
では、なぜキリスト教会(カトリックとプロテスタント)が、12月25日に、キリストの誕生としてクリスマスを祝うのかを知るためには、ローマ帝国の頃まで遡ることになります。
ローマ帝国の皇帝、コンスタンティヌス1世(在位:306年 – 337年)は、帝国を再統一し、専制君主制を発展させたことから「大帝」と称されていますが、そのコンスタンティヌス大帝は、初めてのキリスト教徒皇帝として有名です。
コンスタンティヌス大帝は、ガリアまたはブリタンニアの辺りに駐在している間、現地で広まっていたキリスト教の洗礼を受けたといいます。ただし、洗礼の時期については、当時の風習に従い死の直前だったという説もあります。
コンスタンティヌス大帝以前のローマ帝国では、ネロ帝(54年 – 68年)のキリスト教徒迫害に始まり、ディオクレティアヌス帝(284年 – 305年)の迫害まで、何度かキリスト教が迫害を受ける時期があり、キリスト教徒であることが発覚した場合は、改宗を迫られ拒絶した者は処刑されました。
コンスタンティヌス大帝は、全帝国市民の信教の自由を保障する『ミラノ勅令』を発布し、特にキリスト教を上げつつ、他のすべての宗教と共にこれを公認しました。
キリスト教を帝国統治に利用しようという意図もあったと言われていますが、その後の発展の政治的社会的基盤を用意したことから、コンスタンティヌス大帝は、正教会、東方諸教会、東方典礼カトリック教会では、『聖人』とされています。
321年 コンスタンティヌス大帝は、政治的判断から、キリスト教徒の礼拝日「主の日」を、ミトラス教徒の太陽崇拝の日と結合して、公式に週1回の休日を決定し、役人の休日にしました。
325年 ニカイア公会議で、ミトラス教の祝日Natalis Solis Invicti(不滅の太陽の生誕日)である12月25日がキリストの誕生日として解釈され制度化されました。
※ミトラス教(または、ミトラ教)とは、古代ローマで隆盛した、太陽神ミトラス(ミスラス)を主神とする密儀宗教です。
太陽が一番短い時のお祭り、いわゆる冬至のお祭りに、イエス・キリストの誕生により、闇の中に光がさしていく様子を重ね合わせています。
救主(すくいぬし)は、「義の太陽」として預言されていたので(「マラキ書」4章2)、好都合な解釈が成立したというわけです。
安息日やクリスマスなどをキチンと生活の中に取り入れたのは、ローマのコンスタンティヌス大帝だったんですね。
クリスマスも、ハロウィンと同様に、異教徒の習慣や祭りをキリスト教に当てはめたものだったんですね。
クリスマスとは何の日?いつ?キリストの誕生日じゃない?まとめ
クリスマスは、『イエス・キリストの誕生日』ではなく、『イエス・キリストの降誕(誕生)を記念する祭日』なんですね。
キリストの誕生を祝うクリスマスは、今日のように、商業目的で利用されるだけでなく、政治にも利用されてきたようですね。
コンスタンティヌス大帝が、ローマ全帝国市民の信教の自由を保障する『ミラノ勅令』を発布していなかったら、今日ほど、キリスト教は広まっていなかったかもしれませんね。
そして、クリスマスも12月25日ではなかったかもしれませんね。